序章 異界からの訪問者

 私の名前は倉笈舞夜。俗にいう、義務教育中の中学3年生。成績は本当に平々凡々、特に秀でてるものはなし。あえて言うなら、体育がちょっと成績いいくらい。セミロングくらいの長さの髪で、外に跳ねる癖毛が特徴……と言われてみれば、そうかもしれない。

 父は営業の仕事をしていて、現在単身赴任中。全国各地を転々としていて、ここ最近では滅多なことでは帰ってこなくなってしまった。私がもっと幼い頃は、19時頃にはいつも帰ってきていたんだけど。
 母はスーパーのレジコーナーでパートとして働いていて、早番の日は朝市で、遅番の日はその日の夕飯の材料を買いに殺到する奥様方のお相手をしている。

 そんな普通の家に生まれた極々普通の、現代っ子が、私、倉笈舞夜だ。
 この間までは『普通の家に生まれた極々普通の、現代っ子』、だった。ーーこの日本では染めでもしない限りありえない髪の色をした3人が、この家に突然現れる、この間までは。

◆ ◆ ◆

「あっおい兄貴! 俺のリンゴ取るんじゃねぇよ!」
「ふっふっふ、まだまだ甘いな青二才!」
「ブレウス、リドラ、そのへんにしておきなさい」

 食卓を囲む自分と母以外の3人の男女。
 こうして見ている限りでは、髪と目の色を除けば全く違和感のない日本人だ。流暢に日本語も話している。だが、彼らはこの日本のある現代とは全く異なる世界の異世界人であるそうだ。

 リンゴを取られて怒っているのはブレウス=エルティーニ。年齢は18歳だと本人は言い張るが、どう見ても12歳程度の少年にしか見えない。髪は燃えるように赤い。赤い髪は地球上にも存在するけれど、それにしては鮮やかすぎる赤だ。
 本人曰く、破壊を得意とする炎の魔術師。勢い良く燃える炎のように気が短いのか、性格は俺様至上主義。

  そのブレウスのリンゴを取ったのは、ブレウスの兄であるリドラ=エルティーニ。24歳。よくブレウスをからかっているのを見かける。いわゆる面倒見のいいお兄さん。
 俺様至上主義のブレウスと違って、いろんなことに気づいてくれる大人な人。個人的にも好感度は高い人だ。
 魔術師としては水属性を得意としていて、どんな形にも変わることができ、応戦能力は3人の中で特に秀でているらしい。

  その2人をなだめているのが、ブレウスの姉でリドラさんの双子の妹、リィア=エルティーニ。怒ると大地震を起こすから怒らせるな、とリドラさんに忠告されている。さらさらストレートの緑色の髪が綺麗な女性だ。

 エルティーニという一族は彼らが元々いた異世界ではとても有名な名家で、魔術師としては全員が最高峰と言われているーーらしい。
 子供にしか見えない俺様至上主義のブレウスも、炎の魔術に関してはかなり高い能力を持っていて、今のところその属性では右にでるものはいないらしい。信じがたいけれど。

「まあいいじゃない、にぎやかなら」

 笑いながら言うのは母の小夜だ。近所迷惑で怒られないか気が気じゃない。ここは閑静な住宅街にある一軒家で、結構、声が外に聞こえるのだ。

「……にぎやか過ぎるのは困る」
「私はそれなりに楽しいわよ。子どもが増えたみたいで」
「……ははは、そっか」

 リドラさんと言い争っているブレウスの前には、今夜のごはんに出てきた湯掻いたブロッコリーが小皿に鎮座していた。我が家ではブロッコリーはよく食卓に出るのだが、ブレウスはこれが苦手らしい。一度食べてとても顔を歪めたのを憶えている。苦味を強く感じてしまうのか、他にも苦手とするものが結構あるようだ。
 こちらと彼らの元の世界では食生活や食品に多少の差はある、とは双子の弁。それでも好き嫌いもなく完食している双子を、ブレウスには見習ってほしいものだ。

◆ ◆ ◆

 毎朝恒例の目覚まし音が鳴り、それを止める為に這いずるのは舞夜の姿だ。布団の中からゆっくりと手を伸ばし、時計の上部をばちん、と一叩き。すると音は止まり、少女はそのまま顔を上げてとても眠そうな顔で時計の針を見る。

 時計の針が指すのは7時。これぐらいならまだ寝てても大丈夫、学校には走って5分で着くから起きるのは早いぐらいだと判断して、ぐた、と枕に顔を埋もれさせる。

 二度寝とは、どうしてこうも気持ちの良い睡眠なのだろうか。

「……舞夜っ、遅刻するわよ!?」

 声が聞こえて、意識が急速に引き戻される。その声の主が誰かと認識するのに数分かかって、その主が言っていた事をゆっくりと頭の中で繰り返す。「遅刻」ーーその2文字を理解すると、舞夜はがばり、と飛び起きた。起き上がった反動で時計は床に転げ落ちる。
 舞夜はそれを気にするわけでもなく、声の主ーーすなわち母を一度見、母が部屋から出てゆくのを確認すると大急ぎで着替えに走った。着替え終わるなり、少々鏡で確認して、それからどたどたと階段を駆け下り、急いで靴を履く。

「行ってきますっ!!」

 その声が聞こえて母が「ご飯は!?」といっている声が聞こえたのか聞こえていないのか覚えていないが、とりあえず走ることにする。走って間に合うかは、今の時間では微妙だが。

「舞夜」

 そう呼ぶ声が聞こえて、勢い良く走りだそうとしていた足を止めた。呼び止めたのはリドラだ。彼は、乗っていくかい?と車を示した。
 この車は元々名義上父のものだが、今は単身赴任中で使用していない。そこに目をつけた母は、せっかくだから免許をとればこの世界でしばらく生活する上で困らないだろうと、リドラとリィアに提案をしたのだ。それからしばらくして、普通自動車免許をとって帰ってきたリドラの姿に動きが止まったのは言うまでもない。
 戸籍はどうしたのか、あえて聞くまい。異世界の魔術師、というのだからあまり世間的にはよろしくないことをしているかもしれないのだ。聞くのは怖い。聞かないほうが身のためだ。

 リドラはスーツに身を包んでいて、どうやらこれから出勤らしい。

「はい、是非! お願いします!」

 やった、助かった! 急いでいるこのタイミングで、なんと運のいいことか! リドラさんと通学の時間誰にも邪魔されず喋ることもできるなんて!
 リドラの運転する車に乗ると、学校まであっという間に着いてしまった。ぺこぺことリドラにお辞儀をして、正門から教室へ向かって走る。正門より裏門からいくほうが教室に近いのは、通学3年目でも未だに解せない。
 なんとか駆け込み、朝のホームルームの時間に間に合った。他愛もない挨拶をしていると、後ろから声が聞こえてびっくりして振り向くと、そこには担任の姿があった。視線だけでさっさと席に付けと言われている気がするので席に着く。

 席についたらいつもと変わらないホームルーム。それが終わればまたいつもと全く変わらない授業。 それが毎日毎日繰り返されて、舞夜は飽きることを感じていた。
 受験して、高校に受かって、入ったとしてもきっとそれは同じなのだろう。

「なんかさー、こう、なんつーかスリルを味わいたいよねー」

 椅子を逆向きに座り、後ろの座席に座っている友人・桜庭まりあを向く。女子学生としてはあまりよろしくない格好をしているせいか、まりあは苦笑しながら、お化け屋敷にいけばいい、と提案する。だがそういうスリルではないのだ、と舞夜は声を荒らげた。

「そーじゃないのよ!」
「具体的にはどんな?」
「例えば! そうね、学校に魔物が現れて……白馬の王子じゃなくてもいいから格好いい人が助けてくれるとか……」
「……白馬の王子でもなく、格好いい人でもなく、リドラさんが、でしょ」

 はあ、とまりあがため息を吐き出しながら指摘した。あながち間違いではない。彼女にだけは、縁戚の3人が家に居候している、と話をしてある。そのひとりのリドラに憧れているというのは、だいぶ前から話をしていた。

 いまどき珍しいぐらい乙女ちっくな考えは、この世界では通用しないってわかっている。憧れるぐらいは誰でもあるだろう。それを未だに、現実に起こらないかと思っているのが舞夜だ。

「はぁぁあっ、家に帰ったらどうしようっ」
「……あえて聞くけど、何を」
「今日の夕飯っ!」

 そんな舞夜の答えに、まりあは呆れるしかなかった。

「せいぜい頑張りなさい」
「なによー、応援してくれてもいいじゃない! 私の大っ好きなリドラさんのために作るのよ!?」
「もう恋する乙女の話はいらないから現実に戻ってきなさい。5時間目、体育よ?」

 その言葉に舞夜は、ぎゃーぎゃーと拒絶の叫びを上げ始める。体育の成績は確かに、他の成績に比べれば多少は良いのだが、産休となった本来の担当教員の代わりに来た教員があまり好きではなかった。それゆえに近頃は拒絶反応を起こしている。

 そんな拒絶反応を起こす体育をなんとか終え、帰りのホームルームも終え、帰路を歩いていると見覚えのありすぎる、この日本ではおそらく彼しかいないだろう赤い髪を見つけた。ブレウスだ。

「今日は同時刻ね!」
「……んだよ、いちいちうっせぇヤツだな」

 顔と性格は小学生のように思うが、まっすぐに立っていると165センチメートル位はあるのだろう。しかし、意外と背中を丸めてる事が多く、実際の身長はよくわからない。舞夜より少々高いか、というところだ。

「うっさいとはなによ。うっさいとは。私は仮にも身内に値するあんたにお帰りの挨拶をしよーと」
「んなもんいらん!」
「ひどぃいー、せっかく挨拶したのにぃいい」

 ぶうぶう、とふてくされながらそのままブレウスの隣を歩く。そうして並んでみると、ブレウスを多少見上げる形になる。パッと見で小学生程度にしか見えないが、そうだとしても背は高いほうだろう。18歳というのを信じていないわけでは……ないのだが。
 そう思いながら歩いていると、あっという間に家に着いてしまった。

「ただいまー!」

 舞夜の元気な声は家に響いた。

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