8話 モラトリアム

「…へーへーそれはよーござんしたねー」

 ぶすっ、とした顔で、文句を口にする千早。その視線の先には佑志が居た。

「そう怒るなって」
「怒ってはねぇけど」

 桔槻家、1階のリビング。今日は聖が泊まっているが、2階の個室に居る為ここで成されている会話を知る由もない。

「…で、そうなると佑志はどうするんだよ。 Stellsやめるのか?」
「…なんでそんな解散の危機に迫られるようなことを言うか」
「話を聞いてるとそういう風に聞こえんだよ」
「Stellsはやめない。まぁ、言うなら両立、ってところか」
「…そうか」

 千早は椅子から腰を浮かす。それから台所に立って何かを作り始める。作りながら、後ろを振り向くことはせずに、佑志に問いを投げかけた。

「…後もう一つ、言いたいことがある」
「…言いたいこと?」
「佑志は…、二重人格と見ていいんだよな?」

 その言葉を言われて、一瞬ばかし佑志が驚く。だがその顔は千早には見えない。佑志は驚きの顔を、悲しみの顔に少しの間だけ変えた。それから少しして、いつもの顔に戻して、千早の問いに答えた。

「俗世間ではそう呼ばれるね、俺は」
「それは本当のことだと信じていいと?」
「あぁ、信じてくれて構わない」

 だからか、と千早の中で合点がいった。喋りが幼稚っぽく聞こえる、沙那や聖に対する言動。ぶっきらぼうな喋りをする、皐月のみに対する言動。それらが別人になるのは、それが理由だったのだ。

「原因は皐月さん、だろ」
「…その推測は間違っていない」

 千早はどんぶりに作ったばかりの夜食であるうどんを入れて、鍋をシンクに入れ、水を張る。それから、インスタントコーヒーの粉を2人分、カップに入れてお湯を注ぐ。片方のカップを佑志に手渡して、机にコーヒーと、作ったばかりの夜食を置いて、千早は着席した。

「…何があったかは聞かないけどさ」
「そうだと俺は助かるね」
「…でも、その原因である皐月さんとユニットを組む、なんて。どうかしてるんじゃないか、お前」

 まだ熱いコーヒーを少し啜りながら千早は、佑志に呟くように問う。すると佑志は苦笑いをしながら言った。そうすることで、『俺』を保っていられそうな気がしていると。
 自己を保つためにユニットを組むなんて、やはりどうかしてる、と千早は口に出さずに思った。

「判ってるんだ、沙那に俺が手を出しちゃいけないってこと。でもどうしても―――」
「それは聞かなくても想像が付くし、判るから良いよ。佑志がそんな状態だから、俺が『お転婆なお姫様』直属の『騎士』にならなきゃいけないんだ」

 その例えは似合いすぎるくらいだよ、と佑志が言うと、千早が何か言いたそうな顔を一瞬だけした。お前のせいだ、とでも言わんばかりの顔だったが、それを口にすることはなく、別の質問をした。

「そもそも、二重人格ってのは一般的に、もう片方の人格がやらかしたことを判らないんだろ? 佑志もそれは例外なくそうなのか?」
「例外はないと思う。皐月を前にすると気づいた時には会話が終わっているから」

 皐月だけに対するの人格と普段の人格の差。やはり記憶にはないようだ。
 ただ、自分自身の声音が変化するということは前から気付いていたようで、低くなった、と自分で感じた時にはもう話が終わっているらしい。

「何となく判る気がする。俺がどんなことを言っているのか」

 けれど想像はしたくない、と付け足した。自分が言っていることが判るのに、考えたくないという理由が千早には良く判らなくて、首をかしげてしまった。

「…まぁいいさ、二重人格って精神病の一種…、だし」

 実際二重人格は精神病といえど治療方法が見当たらないとされるもの。そもそもこれが病気なのかという定義も人によりまちまちだ。

「沙那に手ぇ出しそうになったら止めるのは俺だしな」

 千早は自嘲を混ぜ、くっ、と喉で笑う。それからふと、考えた。
 佑志の表に出ている人格は、まだ未成年であるかのような振る舞いをする。声音も高めで、口調も柔らかい。ならこれは、「モラトリアム」か、と。
 そう決定しようと思うわけじゃない。ただそうかもしれないと仮定しただけだ。

「…まぁ、事件が起きなければそれでいいよ」

 最後の一口が喉を過ぎて、千早も佑志も色々な意味を含む溜息を吐き出した。

2006/11/24,2010/01/02