11話 Progressive Pain

「まったく…どうしたもんか…」

 ギッ、と椅子が鳴る。部屋の明かりはパソコンの隣のスタンドライトだけで、とても暗い。パソコンの隣には書類の山があり、キーボードの手前には書きかけの五線譜ルーズリーフが散らかっている。

「…笑えねぇ…二重人格が病気的にあるってのは知ってたけど…」

 項垂れるのはStellsのドラマー。佑志は自分がそれだと言うのも判っている。だが、どちらかの性格が今後もそのまま表に出続ける。その性格が確定されるかも知れないと医者に言われた。
 今更かよ、なんて小さく呟いても意味は無い。この年になってから固定されるなんて。

「成人で変わるとか区切りの良いもんにしてほしいったらありゃしねぇ…」

 ばさり、と手に持っていた学校の活動方針の書類を机に投げ捨てる。彼の担当は音楽で技能教科である故に選択制。生徒誰もが選ぶものではない。その分、数は少ない。

「ったく、今更どう心構えしろってんだよ」

 小さく呟いた声は無音の部屋には気に障るくらい響き渡る。
 煩い。黙れ。そう思っても発信源は自分だ。

「千早には…話しておくべきだろうな、やっぱり…」

 バンドのメンバーとしてではなく、従兄弟として。何より、家族として。

+++

「次音楽だろお前」
「あぁ、うざい佑志の音楽ね」
「うざい言うか、自分の従兄弟に」
「ていうか担任だし」

 頬杖を付いて伶都と話す千早の目はどこか虚ろ。もうそろそろ昼を迎える頃だから眠いと言うわけではないだろう。

「…選択美術の奴らと同じく教室で自習だよ」
「何で」
「今日、佑志体調悪くて寝込んでる」
「マジで?」

 佑志は、普段Stells関連以外では殆ど仕事を休まない。だから体調を崩すというのが珍しくて、伶都は慌てた。

「ただな、それが精神から来るもんだから治りが悪いんだよ」
「…鬱病か?」
「違う。生まれ持った最悪の病気だ」

 そう言って千早は席を立つ。次の時間は教室で自習なんだろ!?と伶都の声が聞こえる。しかし千早は、屋上でサボるから適当に保健室とか言っといてくれ!!!と力強く言い放つとそのまま教室を出て行った。
 その顔は何処か、怒りに満ちているようにも見えた。

+++

 空は広いな。大きいな。沙那が小さい頃に良く、歌っていたっけか、と思い出しながら、千早は屋上の床に寝転がっていた。

「…あのやろ…」

 二重人格。それに悩まされていたのは知っている。それが彼にとってある意味での苦痛を与えていることも。

「…あーやっぱり居たー」
「げ、沙那」

 声がして、千早は思わず身体を起こす。

「…佑志、休みだって?」
「あぁ…。ちょっと、精神的にきついらしい」
「…そっか…」
「原因、気になるか?」

 そう千早が問うと少しね、と弱めに聞こえてくる。気にはかかるが聞いてはいけないような気がする、といったところか。

「佑志が二重人格だ、ってのはお前も知ってるだろ」
「そうだね…。なんでそうなったのかは知らないけど」
「その二重人格。もしかしたら人格が片方に固定されるかもしれないんだそうだ」
「―――!」

 医者に言われて以来、佑志は生きていないかのようだった。それだけショックが強かったんだと思う。

「でも、今月って…」
「そう…。チェリースマイルが明後日発売で、その翌日にミュージッククラフトへの出演が決定しているのだ…」
「…佑志がぶっ壊れそうな気がするのは私だけかな」
「いんや、俺も。開き直ってぶっ壊れてやがりそうだ」

 気分が浮上していればいいのだけれど、と千早は昨日のことを思い出していた。昨日マンションに行ったとき、佑志の顔色は青ざめていて、目も虚ろ。歩き方は覚束ないし、直ぐに嘔吐してしまうほど…。
 弱りきった佑志に、生放送の番組の出演は無理があると思う。

「ミュージッククラフトの出演、取りやめにする?」
「俺もそれは考えた。けど、佑志は絶対それには出る、って言ってるから」
「…やっぱりぶっ壊れる気だ…」
「あぁ、確証が持ててる」

 はぁあああ、と千早が長く深い溜息を吐き出すと同時、授業終了のチャイムが鳴った。

「…そういえば授業中だったんだっけか…。……、沙那、お前もサボりか」
「気付くの遅いよ、ちっはやくん」

 語尾にハートでも付きそうな勢いで言い放ち、逃げ去るように沙那は階段を降りていった。

「…落ち着いてると、いいんだがな…」

 ふと強く吹いた風が、千早の髪を攫っていった。
 あぁ、空は青いな。空は広いな。この広大な空のように許容量があれば、長く悩まなくて済むだろうに。

2007/01/30,2010/03/06