1話 いつも通りの日常

 都内某所にある両親不在の桔槻家の一室。そこで桔槻の名字を持つ少年は思い悩んで頭を抱えていた。

「っだー!!!!」
「朝っぱらから何叫んでるのよ、千早」

 窓の方から聞こえた声、それが誰かなんて直ぐに判る。

「あぁ、はよ、沙那」

 高校の制服に身を包んだ少女、葉塚沙那。千早の隣の家に住む腐れ縁な幼馴染。沙那の顔は明らかに呆れていた。

「朝から近所迷惑も大概にしてよねー」
「大概にしてよねー、じゃねぇだろ。原因知ってるくせに」
「ま、ね。付き合いは長いしねー」

 笑ったような溜息を吐き出しながら、手にローファーを持った沙那は千早の部屋に移る。家の間の隙間が30センチもない為、安易に渡れるのだ。

「で、新曲の歌詞上がった?」
「全っ然。そもそも俺にダーク以外の詩を書かせるのが間違ってると思わねぇ?」
「私に聞くなっ」

 知るわけがない、とでもいうように沙那はにこやかに言って、千早の座っている机の上に散乱した紙の山を見た。書きかけのものもいくつかあるようだ。

 彼らは今をときめくプロバンド「Stells」のメンバー。千早はベース、沙那はボーカルを担当している。そして後2名ほど居るが彼らは追々説明する。

「うっわ凄い量じゃん」
「あのな、俺徹夜してんだけど?」
「徹夜はまずいって絶対。重たいベースを持つベーシストがそんなでいいのか!」
「いいよ、授業中寝るから」
「毎度のことでしょそれ」
「はははご名答」

 千早は、ざざざーっと紙の山を纏めると、紙に埋もれていた黒いネクタイを取る。手馴れた手付きでネクタイを締め、カバンを手に取る。そうして部屋を出ようとして、楽譜を持ち忘れたことに気付き、慌てて机を漁った。

「あと候補になりそうな歌詞もね。佑志が待ち構えてるわよ絶対」
「ったくあいつ酷な事させんなよなー全く…」

 千早は盛大に溜息を吐き出し、部屋の扉を開ける。それから、未だ机の上に残っている紙の山を漁る沙那に声をかけた。

「ほら、紙の山漁ってねぇで。学校行くぞ学校」
「あ、コレ結構良さそう〜」
「俺の普段書かないジャンルは俺らしくねぇぞ。それお前の趣味に合わせて書いてみたヤツな」

 そう言って、沙那の持っていた紙を取り、カバンの中にしまう。沙那の得意分野であるものを真似ては見たが、沙那本人が書いたほうがいいものになる、と諦めたのだ。不得意分野は書くものではない。
 はあ、と溜息を吐き出しながら、千早は階段を降りる。沙那もそれに続いた。

「んで、今何時だよ?」
「今? 今は7時回った所」
「よっしゃ、時間あるな。着いたら音楽準備室行こうぜ」
「なんで準備室? 流石に佑志もまだ居ないわよ?」
「いや、今日は居るな。そろそろ届いてるはずだからよ」

 千早が言うと、沙那は思い出したように手を打つ。思い当たるものが一つだけあった。

「となると、多分聖も来てるかも…」
「いや、それはさすがに無理があると思うよ。まぁそんなに遠くは無いんだけどさ…」
「どっちにせよ、まぁ困ることが起きそうな気がするのは気のせいじゃないな」

 そう呟いて、家の扉を開けた。

+++

 駅へと続く商店街を歩く。毎朝こうして歩くが、いつもに比べると声をかけてくる人の数は少ない。時間が早いというのもあるだろうか。
 何故声をかけられるか? そんなもの決まってる。新曲を出せばオリコン1位を掻っ攫うバンド「Stells」。そのベーシストとボーカリストが揃っていれば、目立つこと極まり無い。
 ここは駅へと続く道。人通りもかなり多い。駅の近くに学校があるのだから仕方の無い話だが。

「…おー、お二人さん朝から一緒に登校ですかー。うっらやましーなーおいこの野郎めが沙那から離れんか貴様」

 聞き覚えのある声が聞こえて、道路を見る。信号で止まっている灰色の乗用車の窓が開いており、そこから見える人影に千早が顔を歪めた。

「貴様の使い方間違ってるっつってんだろ佑志。現役に教師が負けてどーすんじゃ」
「ははははは、千早君、残念だが俺は音楽専門なんでねー。だから沙那から離れろってんだよ千早」
「嫌だね。お前何すっか判らねぇもん」
「へー姫様を守る騎士様ですかーへー」
「なんかこいつ相手にしてると低レベルな争いになってきて困る」
「悪かったな低レベルで。ほら信号変わる前にさっさと乗れ!!! 千早は後ろで沙那は前なー」
「は?」
「早めに乗ったほうがいいよ〜」

 後部座席から別の声がして、千早と沙那はその意図を理解した。千早は悪びれもなく前に座ると直後に佑志から叱責が飛んだ。沙那は別の人物が居る後ろに座る。

「おま…!沙那の為に空けておいたんだぞここ!」
「いやわざわざ空けんくて結構だ。空けても俺が座るが」
「わざとやってるだろうお前は!」
「っと、ほら俺と言い合ってねぇで前見ろ前。青になるぞ」

 信号が青になって、車は発進する。その車内、低レベルな争いが勃発しながら話は進んでいた。

「また拉致ってきたのかよ佑志」
「誰が拉致るか」
「この前やったよねぇ佑志〜。まぁ、慣れてるからいいんだけどさ〜」

 この独特な口調をもつ少年。そして佑志と呼ばれている千早と低レベルな口喧嘩をしている青年。
 前者は木ノ宮 聖(きのみや ひじり)。水守学園高等部に所属する、「Stells」のギタリスト。千早と沙那より1学年上だが、中学時千早は軽音部に属しており聖もまた軽音部員で妙に打ち解け先輩後輩関係なく仲が良いのである。
 仕事やライブの時にはきりりと格好良いが実は普段はのほほんとした天然さんだ。

 後者は伍川 佑志(いつかわ ゆうし)。千早や沙那の所属する白崎高校の音楽教師。そして千早のクラス担任でもあり、千早の従兄弟である。「Stells」のドラマーを務める最年長。
弾ける楽器は数知れず。歌もそこそこ上手いので教師としては申し分ない。だが健全そうな外見だが、頭の中は常にピンクとも言えるような人間だ。

「で、運転中悪いが運転手」
「なんだよ千早」
「あれ、届いてるのか?」

  そう言うと、一瞬ばかし佑志は無言になった。心配になって千早が神妙な顔つきになると口を開いた。

「届いてなきゃひじりんを連れて来ないでしょうが」
「ひじりん言うのはやめてもらえるかな〜佑志」

 尽かさず聖がそう呼ぶな、と反論したが、聖の声は届いていないようで、話はそのまま進んでいた。

「多分届いてるはずだ。学校宛にしてもらったから来てるとしたら事務室だなー」
「自宅宛にしろ!!!」

 そう千早が怒ると同時、車は学校の駐車場で停まった。

2006/09/07