:: 20 記憶の在り処 前編 ::

 子供達の笑い声が聞こえて、その声に少女―――奏は笑った。その後方に、クズルがいた。

「仲がいいんだね、あの子達」
「あぁ、あいつらはいつもああやって遊んでる」
「…私が元の世界に戻ることって、出来るの?」
「お前が望めば、いつでも」

 この質問は何度目だろう。この応答は何度目だろう。何度聞いたのか判らないし、何度答えたのか判らない。何度もその問答をしている。

「…でも、私はこの世界に居なきゃいけない気がする」
「周りが、記憶のことを言うから?」
「そうかも、しれない」

 奏の記憶は戻らない。戻ってしまっては困る。クズルが封印しているのだから。だから人間界へ返そうと思った。でも彼女は人間界へ帰ろうと本腰を入れない。

「帰りたいと思うのは本当の気持ちか?」
「判らない。私は…どうすればいいのかな、って…」

 記憶。奏にはそれが何か判らない。けれど、この世界―――神様の居る世界に関係しているのは間違いない。それだけは確実に判っていた。

「私は風の力を持ってるって、聞いた」
「誰から」
「フォーラさん」

 その名前を聞いて、あの馬鹿、とクズルは口の中で文句を言った。口を滑らしやがって、と悪態をついたところで、何が変わるわけでもない。

「私は神様の子だったって。神様と人間の子だったって」
「そう、か…」
「ねぇ、クズルさん」
「何だ?」
「私って、役に立てるのかな? 神様になれば…役に、立てる?」
「神になることは、『大切な人』との記憶を失う―――ってこと、知っているのか?」
「それも、フォーラさんから聞いたよ。でも、私の大切な人って誰か判らなくて。誰か居そうな気がするけど、誰なのか判らなくて。それなら、別にいいかな、って…どうせ思い出せないんだもの。それなら思い出さないままでいいと思って。思い出したくても判らない…。判らないの…だから…、怖くて」
「…記憶が抜けていると誰でもそれは陥ることだと思うよ…少なくとも、俺はそう思う」
「…そう、なんだ」

 そもそもクズルは、『大切な人』との記憶そのものはなかったも同然だった。彼の場合は、『大切な人』が出来たのが、神の世界へ来てからと行っても過言ではない。
 物心付いた時には既に暗殺者であった彼に『大切な人』との記憶を求める方が間違っている。そのとき、恋なんてしなかった。 愛なんて糞喰らえと思っていた。

「…今となっては、馬鹿馬鹿しく思えるけどな」
「え…?」
「神になる以前、人間だった自分を思い出しただけだよ。気にしないで」

 そろそろ、帰るか。そういうと、奏は頷いて見せた。

◆ ◇ ◆

「…なぁ、クズル」
「なんだよ、フォーラ」
「…、奏は…こうなるのなら人間界に戻した方が」
「…俺はその話は彼女にした。彼女自身が戻ろうとしないんだ、人間界に」

 クズルは促している。戻りたいのなら戻らせると。けれど彼女は戻るという明確な意思を口にしない。

「…そうか…」
「…あとは、時の流れに任せるしか、ないんだ」

 時、と自分で言った言葉にクズルは自嘲した。時の流れは、早いものだ。あっという間に騒乱は収まってしまった。

「…テュエラスが神になったことで、俺の力も均衡が保たれるようになったし」
「でも、お前その状態だとまだ本領発揮!ってわけじゃないんだろ?」
「ほぼ完全に近い状態になってるよ。テュエラスも完全に覚醒したしな」
「うわぁ、最凶なのがここにいる…」

 ぽそりと呟いた直後、フォーラの頬を突風が掠めた。

「なんなら闘ってみるか?」
「謹んで遠慮させていただきます」

 にっこり、と笑ってフォーラはそそくさ逃げるように居なくなっていった。

◆ ◇ ◆

「あのー、クズルさん、入っても大丈夫、なの…?」
「いや、そもそも何で入るのに躊躇ってるんだ。誰かさんが扉開けっ放しにしていったけど」
「フォーラさん?」
「当たり。 ていうかそれしか居ないから」

 そういうと奏が笑う。釣られてクズルも笑みを零す。

「あのね、クズルさん」
「ん?」

 読んでいた本から顔を上げた。

「私、やっぱり神様になる」
「―――な?!」
「ウィレールさんとお話してきて、私、やっぱり神様になりたいって思ったの」
「な…っ、ど、どうして…?!」
「…なんとなく、って言ったら、怒る…よね」
「当たり前だろ!?」

 彼女がそういうなんて思って居なくて。クズルは混乱と憤りが混ざり、読んでいた本ごと机を殴打した。

「ウィレールさんがね、もしかしたら…もしかしたら、そうして神になることで記憶を取り戻せるかもしれないって。そう言ったの」
「…けど、それだけじゃないだろ。それだけならハイリスク過ぎる」
「…うん。それだけじゃない。ホントの理由はね、私、人間の世界に戻りたくない。現実逃避、って言うのかもしれない。上辺だけで『友達』っていうのはよくやってきたけど、本当の友達なんていなくて。やっぱり私って要らない感じがして。だから、戻りたくない」

 人間の世界にいても、楽しくない。この世界の方が何倍も楽しい。

「…どうしても、神になりたいのか」
「…どうしても、ってわけじゃない…。でも、このままこうしていても、意味はないからそれなら、役に立ちたい。素質があるなら、役に立ちたいの…!」

 彼女は、記憶がなくても、やはり彼女なんだ。とクズルは殴打した拳が痛んでくると同時に、思ってしまった。彼女は言い出したら絶対、諦めない。

◆ ◇ ◆

 2人の神が互いに無言のまま別々の事をしている。しかし、片方はもう片方を横目で見ていた。
 何を考えているのか判らない神妙な顔で居るクズル。彼の前の前には書きかけの研究書や書類ともいえよう紙が散らばっていた。水神の主な仕事。それは、魔法や特殊な力に関する事柄の記録である。

 つまりクズルはその仕事の真っ只中で、その為に2階の書庫、ベリアッツェに居た。そしてそのクズルを横目で見ているのは情報処理を主な仕事とする火神。彼もまた、調べ物でベリアッツェに足を運んだのだ。

「…なぁ、クズル」
「…何だ?」

 目は虚ろなまま仕事を進める。しかしフォーラの声には反応を示した。

「…『彼女』はアレ以来、干渉してこないのか?」
「あぁ、全く」

 そう言って書類の一部を手に取り、書物にペンを走らせる。クズルが手に取った書類は、何度も修正がされていてごちゃごちゃのメモのようにも見えた。

「俺の方でも、全く干渉させてもらえなくてよ…。この先、まだ何かありそうな気がして少しばかり不安って言うか」
「有るとしたらテュエラスの暴走とか、奏の神格授与とかその当たりだろ」

 カッ、と音を立ててペンが止まる。それからペンを置くとクズルは続ける。

「テュエラスの暴走に関しては結構安易に想像が付くんだが…。奏の神格授与に関しては…全くだ。嫌な方向に向きそうで困る」
「お前、気になって仕方ないモノに関してはとことんネガティブだからな…」
「悪かったな、ネガティブで」

 お前みたいにいつも軽く振舞ってられないんだよ、とクズルが言葉にすると、いつもは余計だと返される。
 フォーラもフォーラで情報全般を担う神であるし、情報の整理に困ることもあるにはあるだろう。しかし、だからといって最悪の場合ばかりを考えていては意味が無い。

「…奏の神格授与、ね…」

 再確認のようにフォーラは呟く。その声にクズルは少しばかり顔を歪めた。

「…とりあえず、天使の反感を買うのは確かだな」
「ウィレールが既に捻じ伏せた後だとさ」
「うわ…聖母みたいな顔してやること怖いなアイツ…」

 それを本人に聞かれていたらどうなっていただろうか…。確実に、今目を開けている事は不可能だろう。

「…でも、お前はやっぱり納得いかないんだろ?」
「当たり前だ。なんで、奏が神に、ならなければいけないんだ」
「…クズル、奏が探していたぞ」

 この場に無い新しい声がしてフォーラもクズルも顔を上げた。そこに、テュエラスが居た。

「奏が、俺を探してるって?」
「あぁ。なんでも急ぎの用事だそうだよ」
「急ぎ…? テュエラス、悪いんだがここに連れてきてもらっていいか?俺も仕事から手が離せない」
「了解だ」

 そういったと同時、テュエラスが黒い風を纏い消える。それを見て、フォーラが「お前もああいうことやるの?」と問うてくるので、「必要とあらば出来るぞ?」と返す。こちらを見てくるフォーラの目、それは興味津々という感じだった。

「…狂えば、レーヴェルすら殺せるぞ」
「うわ、そりゃすげぇ」
「だが、そんなことはしないが」
「だよなぁ」

 けたけたと笑うフォーラに呆れながらまたペンを走らせる。それから奏が来たのはそれから10分程だった。

「クズルさん!」
「あぁ、すまないな来て貰って」
「いえ、それは…構わないんですけど」
「で、クズルに用事があるんだよな? 俺消えてたほうが良い?」
「あ、そんなに気を使っていただかなくても…」
「こいつが気を使うのは珍しいから使わせとけ。出てけ出てけ」
「クズル…お前は俺の扱いが酷いよ」
「そのつもりは無いが?」
「…そう勝ち誇った笑みで言うな」

 結局フォーラはベリアッツェを追い出され、クズルと奏だけがこの書庫に残ったのだった。

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2006/12/13,2007/03/31
(2007/09/23,2010/08/22 加筆修正)
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