:: 07 恐怖と驚愕の間 前編 ::

 ふっと意識が戻った少女は、ただ呆然とその会話を聞いてしまっていた。記憶を消してしまった方が良い、とクズルが呟いた言葉。それに同意をしたウィレールの言葉。それらを聞いて、涙が溢れそうになった。同時に、そこまで自分が踏み込んでしまっているということも、奏には判っていた。

 もう逃げられない。逃げることのできない位置に、自分はいるのだと。

◆ ◇ ◆

 はっとして起きる。先ほどの彼らの会話からどれ位経ってしまったのだろうか。時計を見ようと顔を上げると、「…お早う」と声が聞こえてきた。その声に、ばっ、と髪を揺らして声の主を見た。そこには、浩司の姿。

「…浩司…」
「ん、どうした?」
「―――…なんでもない…」
「そうか」

 その後の静寂が奏にとって、とても苦しくて。もしも記憶を消されてしまったら。そう考えると悲しくて苦しくてその後のことを考えることなんて出来なかった。
 そう考えていたら、目頭が熱くなって、気付いた時には雫が頬を伝っていた。もうあのときから泣かないと決めたのに、泣いてしまった、と奏は心の中で自己嫌悪する。

「…香野…?」
「っ…く…奏でいいってば…」
「私はそれを聞いているんじゃない。どうしたんだ」
「いいでしょ泣いてたって!」

 があっと声を張り上げてしまう。あぁ、またこれだ、と更に自己嫌悪。素直に人に頼ることが出来なくて、声を張り上げて拒絶してしまう。
 それ以前、彼は人ではないのだけど、素直に頼ることが出来ない。

「…何があったんだ」
「あんたには関係ない!」

 差し伸べられた手をはじいてしまう。昔から、そう。人に自分の意見を聞いてもらうということが怖くてできなかった。だから、誰にも言わなかった。言わないで、一人になったときに自分を悔やんで、涙を流していた。
 だから、泣かないと決めていたのに。

「…何が、あったのかは聞かない。だけど…1人で解決しようとはするな。お前まで私と同じようにならなくていい」
「…え……?」
「1人で解決しようとしたって曖昧で自分を縛り付けるような答えしか出ない。何かあったら、はっきりと言わなきゃ何も解決しないぞ」

 不思議だった。浩司の姿をしているのに、彼は自分よりもとても大人びて見えて。
 確かに奏よりも彼は長生きだ。人の姿をしていても、彼の本質は神様なのだ。いろんな事件、問題に直面したことだってあるだろう。
 だけど、けれど、だ。これは、彼に言っていいのだろうか? 奏の記憶を消すかもしれないということに恐怖を抱いているということを。

「…言えないよ…こんなこと」
「―――それなら、それで構わないんだ。今すぐに誰かに言えと言っているわけではないし」
「…うん…」

 そんな優しさがむず痒かった。拒絶したのに、話を聞いてくれようとする。それが優しくて、悲しかった。どうしてこんなに優しいのだろう。
 もう今日はこれ以上泣かないと決めて、時計を見る。奏はそのまま動きを止めた。時計を見て動きを止める奏に、浩司は疑問符を浮かべながら問うた。

「…どうした?」
「―――今、何時」
「時計見てるんだから判るだろ。午後6時だ」

 再度確認して、奏はまた凍りつく。それから飛び起きた。

「今日の後夜祭始まってる―――――!!!!」

 そう絶叫しながら。

◆ ◇ ◆

「後夜祭って毎日あるんだっけか…」

 飛び起きた奏に連れられて、薄暗くなってきた空を見ながら浩司が呟く。その言葉に前を歩いていた奏が振り向き、そうよ、と短く返す。

「ところで、熱は下がったのか?」
「うん、もうバリバリ元気ー!」

 奏がガッツポーズをすると浩司が呆れる。そんなに早く元気になるのか、と驚いた半面での呆れだった。
 心配して損した、と浩司は心の中で呟いた。とても心配をしていたなんて、誰にも言わないけれど。

「明日もこんな感じなのかな」
「明日は遊ぶんだろ?」
「そうだけどさ」

 この学校では後夜祭は生徒のための文化祭とも言われている。昼間忙しい生徒のための文化祭、なのだそうだ。

「で、結局は明日どうするの?」
「…そうだな…。まぁ、調子見てから来る。1日だけでも元の姿で確認しておかないと」
「何を」
「結界魔法。浩司の姿だと気付かないものが沢山あるんだ。魔力制限してるから」
「…不便ね、それ…」
「…そんなわけだから、明日は元の姿で来るよ」
「じゃぁ当初の予定通り引っ張りまわそうかな」
「…仕事はさせろよ」

 その言葉に、くすっと奏が笑って、大丈夫よ、と一言。

「確認がてら回るようにすればいいんでしょ?」
「そうだな…。って待てよ…そうなるとお前ずっと私と居るつもりか?」
「そうだけど?」
「…。まぁいい、帰るか」
「そだね」

 後夜祭でやることも特に無いし、と言う浩司に同意して、帰路に着く。同じマンションなのだから、帰り道は同じだ。エレベーターで別れようとすると、奏はそのまま降りてしまう。まさか、と思って、足早に行ってしまう奏を追いかけながら、問いを投げかけてみる。

「結局うちに来るのか」
「だってガス代とか浮くじゃない」
「お前の家がな!」

 こっちは倍にかかるんだと文句を言いながら、浩司は鍵を開ける。文句をいいはするが、追い出そうとは思わない。
 結局奏が夕食を作ると言いだして、その間書籍の閲覧をする。それから出来たよ、と呼ばれて、リビングで奏が作った夕食を口にする。

「そういえば、クズルの姿で大丈夫なの?新聞沙汰にもなってるし…」
「いや、沙汰じゃないだろう。既に載ってしまっているし。それなりに考えてくよ」
「そのままじゃ明らかにおかしいもんねー」
「神服に文句つけるかお前」
「や、文句はつけてませんよ。えぇ、文句は一切…」
「…神やるのだってそう簡単じゃないんだからな」

 ぽつりとぼそりと呟いた声に、奏は気付かなかった。

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2005/10/05
(2010/03/21 加筆修正)
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