:: 05 氷山融解 前編 ::


「…浩司くーん?」

 奏は、浩司の名を呼んだ。だが、呼んでも、返事はなかった。相変わらずの不法侵入で浩司の家に侵入してきたのだが、返事がなかった。
 浩司さーん、と呼び方を変えても、何かが変わるわけじゃない。けど、何故か心配になって、別の呼び方で呼んでみただけだった。

「…寝室ですかー?」

 何を言っても、反応は無い。叫んでも何をしても、だ。こっそりのっそりと寝室の扉を開ける。…どうか寝てますように。そう祈りながら。

(あ…寝てる…)

 そう思って、何故か安堵した。だが、彼は寝ていなかった。血の気が感じられなかったのだ。思わず、息を呑んだ。近寄って、更に血の気が引いた。彼の頬に触れて、冷たい、と感じた。人間じゃないくらいに、冷たい。

「ねぇっ、浩司くん…寝てるの…? 返事…してよ…っ?!」

 それがまるで、死んでいる、かのようだった。名を呼んでも揺すっても、何の反応も無い。
 ふと奏は、自分が人間が嫌いな自分がこんなにも浩司の名を呼んでいるのか、判らなかった。他にも、人間の死は沢山見てきているのに。それでいても、何故か、呼ばずにはいられなかった。

「…一歩、遅かったな…」

 全く聞き覚えの無い声に、奏は驚き後ろを向く。すると、そこには金髪の女がいた。厳密には彼女は人間ではない。それは、奏にも雰囲気で判っていた。

「…お前か…香野奏は」
「な、なんで知って…!」
「ノーベから報告を受けている。全て、な」

 そういった彼女の後ろに、漆黒の姿。それは、ノーベに間違いなかった。奏はノーベの名を呟くと、ノーベは苦しそうな顔をした。

「…しかし、ノーベもまた被害者だ」
「なっ…?!」
「…正確には…神々全員が、被害を受けた」
「なんでそこで神がでてくるのよ?!」

 その質問は、奏から出る最もな質問だった。浩司が水神クズルであると知らない、彼女にとっては、判らないことだからだ。

「…お前は、何も知らない。だから、判るはずが無い。私たちが受けた、そやつからの被害は…多大だ」

 そやつ、と彼女が指しているのは、恐らく…水未浩司。どうして浩司なのかと疑問に思い、それを口にする。浩司がどうしてそんなことを、どうして敵対なんて、と。すると、金髪の女は、それが上からの命令だからだ、とため息交じりに吐き出した。

「上ぇ?!」
「…そうか…。少女…お前は全く知らぬのだな」
「…何を…?」

 問う奏に、金髪の女は仕方無さそうに呟いた。

「…そこの水未浩司のことを」
「浩司くんの…こと…?」
「そうだ。最も…『水未浩司』という人間は…神々の暦で、20万年前に死んでいるがな」

 そう言い放たれた言葉は、奏の想定外の言葉だった。水未浩司が既に死んでいる、なんてこと。それなのに、どうしてここに水未浩司と言う青年がいるのだろうか。その疑問が口に出て、どういうことだと奏は問うていた。

「…それは本人から聞け」

 一度、浩司を見て、女はそう言った。死んでしまっているかのようなのに。どうやって聞けと? そう問おうとした最中、全く感じられなかった気配が、生まれた。おぞましいほどのその気は、うっすらとしたものなら何度も遭遇したことがあった。いや、常に、と言ったほうが正しかった。

「…何用だ…貴様ら…」

 だが、完全に、それは違った。奏の知っていた雰囲気ではなかった。

「こ…うじ…く、ん…?」

 明らかに、それは浩司のものだった。その気配は浩司のものだった。だが、それを見たとき、奏は言葉すら、出なかった。

「…ご機嫌麗しゅう。水聖神、クズル様」

 金髪の女は、そう言った。そしてそこには、以前対峙した水神、クズルの姿があった。ここには、このベッドには、先程まで浩司が居たはずなのにと思っても、その姿は浩司ではない。クズル、だった。けれど、彼はクズルではなかった。

「…貴様らには…用は無い」

 違う。こんなの、あのクズルじゃない。実際対峙したとき、こんな気配は持っていなかった、と奏は不安を覚えた。初めて対峙した時、多少の殺気はあった。けれど、ここまで、肌を持って感じられるほどの殺気は感じられなかったのだ。

「…久しいな、セーフェ・ディエリィ」

 その声は、怒りに満ちている声で、奏は身を強張らせた。

「…そのままそっくりお返し致す」
「…堕ちた神が…何を言うか」
「貴殿こそそうではあらぬか? 天上界から逃げ、のうのうとこのような穢れた世界で生きるなど」
「…貴様には関係ないな。私が何をしようが、私の勝手だ。だが貴様は、神を殺した。 その罪は重い。それなのに、何故今ここに居るか」
「…フォーラ殿に連れ戻されたのだ。最も、神格は剥奪されたまま。能力は多少劣るがな」

 互いに一歩も引かないにらみ合いが続く。その間にいる奏は、いたたまれなくなってゆっくりと後ろに下がる。

「…そうか…ならば容赦はせん。ノーベともども、な」

 一瞬で、その場の空間が、変わった。ふっ、と一瞬意識が揺らいで、目を開けた時には、そこは一面水色世界になっていた。 亜空間。異空間。どうともいえる。

「…消えろ、犯罪者」

 そう、呟いた声は恐ろしく低かった。

◆ ◇ ◆

 私の目の前の人は誰? 浩司くん? クズル?
 判らない、と頭を抱えてしまう。奏には、この世界も何もかもが、信じてることが、全部崩れていくように感じられた。

 対峙し、互いの能力をぶつけ合う、神々。いや、本当に彼らは神なのか。そうすら、思えてくる。

 浩司がクズルでクズルが浩司、だろうか。どちらにせよ、それは本人に確認しなくてはいけない。けれど、それよりも、この戦いを、止めなきゃいけない。

「くっ…貴様ぁああっ!!!」

 セーフェの声が上がる。それに気付いて奏はその現状を見ると、それは、クズルの圧勝だった。

 ―――これが、クズルの真の実力か。そう、思い知らされる結果。神でも、歯が立たない、なんて。

「…逃げなど認めない」
「…くっ…」

 セーフェの喉元に水の刃が寸止め状態。ノーベはノーベでクズルの攻撃を受け、動けぬ状態。2人の神が1人の神に勝てない。その光景が、意外すぎるものだった。

「属性など必要ない。そういったはずだ。私は…属性など、元より無いのだから」
「水神…貴様は一体何者だ? 私の知るクズルではないな?」
「…正確に言えば、クズル・レイェンは水の属性を持たざるを得ない無の神。私は…クズル・レイェンの別人格…水龍と呼ばれる水を司り、基本的に属性を持たない龍神。このことを、言った事は一度もなかったな」

 別人格、という言葉が引っかかって、奏の思考は切り替わる。クズル・レイェンは水の属性を持たざるを得ない無族の神。今目の前の存在は、クズルであり、クズルではない別の人格の、神。龍神と呼ばれる、神。水神クズル・レイェンとは、別の存在。
 ならば、本物…水神クズルは何処に居るのだろうか。

「…私たち神は元は誰も同じ天使。水未浩司…すなわちのちの水神『クズル・レイェン』は、天使として生まれ変わったとき、私とそして天使の…今は神の、といった方が的確なその力を得ていた。天使の能力はセーフェ、貴様が知っているように…未知だ。天使として生まれて年月が経ってくると能力が判って来る。だが、私は…いやクズルは、無だった。何も無い、『始まりの混沌』。そう囁かれた。『終わりの混沌』の名をもつあの男と対になるのだと、そういわれていた」
「…! 『終わりの混沌』だと…!?」

 その名を聞いた途端、セーフェの顔色が一変した。その顔色からして、危険である、というのは奏にもわかった。

「あの…あの男が、まだ生きているのか!?」
「…生きているから、私が居る。そうでなければ、既に死している」
「…だから…お前は…、こうして」
「こうして全てを騙し通して生きてきた。私の人格が二つあること。どちらも本来は無族であること。『始まりの混沌』と囁かれた者であること。…それらすべて、最高神にしか知らせていなかったんだ」
「…最高神…あやつか…」

 最高神、という言葉を聞いてまた顔色を変えるセーフェ。ノーベも少しばかり顔をゆがめた。

「この戦いは、彼女に無断で私たちが起こしたもの。すなわち…それらの責任が主催の者から私たちに責任転嫁されるのも、時間の問題だ」
「…お前はそれを恐れている…わけでは無さそうだな」

 ふっと呆れるセーフェに溜息を吐き出す。その表情は、クズルとしても浩司としても見たことのない表情だった。

「…近いうちに戦場荒らしに来るぞ」
「…何故そう判るか。予知はノーベの特技…能力であろう? それなのにノーベに判らず何故お前にわかる」
「…勘だ」

 その言葉に、セーフェが呆れる。相変わらず適当に生きているな、という意味が込められていたようにも取れ、クズルの顔も一瞬呆れた。
 それから、クズルの顔が直ぐに呆れ顔から真面目な顔に切り替わり、その顔で、ノーベを呼んだ。
 クズルの声に、ノーベがゆっくりと下がる。

「…お前は、何様のつもりだ」
「な…っ、何がですの?」
「全てを見透かしているような風貌をしながら全てを判らず。そして水神のクズルを手玉に取ろうとした。そうして何がやりたかった?」
「―――!!!」

 セーフェに向けられた水の刃をノーベに向けると、問い詰める。だが、ノーベは、とてつもない憎悪をクズルへ向け、力を振り絞り消えた。

「…クズル…、これは、どういうことなのだ…?」
「ノーベは…いわゆる『主催』に関係する者だ。私たちを駒のように動かし、それを見て楽しんでいる。自分の思うとおりに動くことに快感を得ている。それが、黒神となった者が一番悩まされる問題なんだ…シェールのときも…」
「…全てを判ってしまうというストレスをどこかにぶつける為、か」

 奏は完全にクズルらの話から隔離されている。だが、その話を聞いていて、疑問がわきあがり、以前の疑問が解決され…。その、繰り返しだった。
 知らないことが多すぎて、目の前のことだけに縋っていて。それだけじゃ、彼らには絶対に勝てない。奏は、その先のことを考えていないから。

「セーフェ、お前は今後、どうするつもりだ?」
「…それは、如何いう意味でなのだ」
「ノーベは偽りの話を作りセーフェを天上界へ戻した。そして、私と戦わせるように仕向けた。推測するに、ノーベは…お前を私に殺させるつもりだったのだろう」
「な…!」
「ノーベの計画の邪魔になる存在だから、消し去ろうとしたんだろうな」
「―――…」

 クズルの言葉に、セーフェは俯き口を閉ざす。クズルは、言葉を続けた。

「お前が、神を殺したのは確かに許されることではない。だから、神格を剥奪されていたのも事実だ。だが、これから先起こること、それに幸福などありはしない。居場所を見つけることすら出来ないだろう。そのなかで、お前は…どう生きるつもりなんだ?」
「…どう、といわれても私は…」

 口篭るセーフェに呆れながらクズルは言う。

「決められないのだろう?」
「…っ…!?」
「お前の性格からして、それを決めようなんて出来ないはずだ。けど、この先、お前がどっちの味方になろうとも構わない。私は私で、この計画を壊さなくてはならないんだ。…―――…レヴェーラの、為に」

 レヴェーラ、という名前にセーフェも反応を示した。彼らが知っている名で、彼らに関係のある名前なのだということは、奏にも判った。だが、それ以上のことは全く判らなかった。

「…お前の…いや…、貴方の、お好きになさってください、セーフェ」

 その口調は、水神クズルそのものだった。セーフェを敬う、クズルの、本心。

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2005/09/12,16
(2010/02/10 加筆修正)
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