:: 02 歯車は廻る(前編) ::

 思念では判ったが、実体は判らない。そんな敵に、どう打ち勝てというのだろうか。

「いや、そんなことを考えるより。そろそろ出ないと遅刻するな」

 自分に確認を取るように呟いて、ブレザーを羽織って家を出て行く『水未浩司』の姿があった。

◆ ◇ ◆

 別にいつもと変わることのない日常だと思っていた。だが、今日はどこか違う。どうやら転入生が来るらしく、それで盛り上がっているようだ。

「…市立黒薙(くろなぎ)高校から来ました。香野 奏(こうの かなで)、です」

 転入生はお決まりの言葉で挨拶をした。市立黒薙高校といえば吹奏楽で有名な高校だ。学力もこの学校よりは上のはず。その高校に入学した者が、それよりもランクが低いこの高校へ、何故転入したのだろうか?

 きゃいきゃいと女子たちに囲まれる奏に、それを鬱陶しそうに見る浩司。はしゃぐということが好きではない浩司にとって、そういった女子はあまり好きになれないでいた。神々にも騒がしい女性はいない。
  それらを横目に、次の授業の準備を始める。どうせ数日はうるさいだろう。一々気に止めている必要などない、とノートと教科書を出して、そこに射す影に気付く。

「えっと、水未、浩司…くん?」

 その声に、驚く。だが、平然を装って何だ、と振り向く。声の主は、転入してきたばかりの香野 奏だった。自分に用があるとは思えないが、何故名前を知られているのかが気になる。

「…何か」
「合ってる、んだ」
「何もないなら俺は行くが」
「あ、その…」

 奏は、ちらりと自分の後ろの女子たちに目配せをし、その視線を浩司へ戻した。あの女子たちがいるから、ここでは言えない、ということか。

「…判った、付いて来い」

 言えないのならそうと言えばいいのに。そう思いながら、奏に声をかけると同時、片手に授業一式、片手に奏の手を取ると歩き出した。

「あ、ちょ…っ」
「……ここじゃ無理なんだろ。有無をいわずについてこい」

 浩司と奏が意味ありげに話をしている、と騒ぎ立てるクラスメイトを横目に、浩司は溜息を吐き出しながら奏を廊下に連れ出した。
 次は移動教室で社会科の歴史専用教室だったはずだから、このまま授業に向かえばいいだろう。

「俺はあんたに名前を知られるようなことをした記憶もないし、名乗ってもいない。会ったこともない。…用件は?」
「…判ってないの?」
「判らないから聞いてるんだろ」
「そう…。じゃあ、こうすれば判る?」

 そういって、奏は浩司の首筋にそのナイフを当てる。そんなものどこに隠し持っていた、と呆れさえするが、何故かと考えて合点がいく。彼女は敵対勢力の刺客なのだ。昨晩聞こえた声と声音は多少違えど、一緒だ。浩司は盛大に溜息を吐きながら、奏に言った。

「…人通りが少なくはない場所で堂々とやる勇気は誉めよう」

 だが、と浩司が言葉を続けた途端、ナイフが乾いた音を立てて床に落ちる。浩司は薙ぎ払うようにして、ナイフを床に打ちつけたのだ。

「…こうなった以上、俺はそれ相応の覚悟と準備をしてる」

 ナイフを払った際に掴んだ奏の手を押さえながら、視線を交差させる。 奏の瞳を見つめ続けて何秒かが経ち、奏が目を細めて溜息と同時に言葉を吐き出し、残念だと短く呟いた。
  それから、奏は攻撃する意思はないというように、もう片方の手を上げる。

「このままやられてくれたら楽だったんだけど」
「…そのためにわざわざ転入してきたのか」
「そうよ?悪いかしら?」

 それは確かに効率的だ。だが、その分危険も増えることは、承知のはずである。それでいて転校してくるのだから、その心意気には完敗だ。

「…この学校で俺を殺してでも見ろ。逮捕されるぞ」
「もちろん、この学校では戦う気はないわ。この学校では、ね」

 だから手を放してくれない?奏がそういうと、浩司は仕方なく手を放す。何がしたかったのやらと思いながら、床に落ちたナイフを拾い上げると奏に投げる。

「くれぐれもこの学校で騒動起こすなよ」

 そうなると、『水未浩司』という人間は存在しないということが判ってしまう。彼女は、そのことを知っているだろうか。 彼女の敵は、水未浩司ではないということを。

「香野…奏…か」

 浩司は溜息を付きながら、その名前を呟いた。最終的に力尽くで倒す事は判っていても、それでも相手が女性である以上、手加減をしてしまう。少なからず自分の中にあるフェミニズムがどうにかならないものか、と心の中で呟いて、その場所から立ち去った。

◆ ◇ ◆

 ナイフを突き付けられた日の夜。家に帰るとさも当たり前のようにノーベが紅茶をすすっていた。 勝手に紅茶を入れて居座っていることに問題があるのだが、それ以前にどうしてここにいるのか呆れてしまった。
 どうしてここにいるんだ、何の用だ、と彼女に言うと、相手が判ったはずだと微笑みながら言われた。それから、奏が今日早速仕掛ける、ということも告げられる。

「そうか…。浩司として戦う訳にもいかないのだが…、そうするしかないのか。あちらは私が『浩司』として戦うと思っているだろう…本来の私を知らないのだからな…」
「…仕方ありません。それは、元から判っていたことです」
「考えてはいたがな。こうなると、この姿でやるしかないのか…」

 この姿で、というのは水未浩司として、だ。その問いに対して、黒神呟くようにうなづいた。そうするしか方法はない。

「…それ以前、なぜお前はさも当たり前のようにここにいる?」
「レイェン神を待っていたのにその言葉はないと思うのですが? 私に質問が来るだろうと思ってここへこうして来たんですけれど」
「あぁわかった。質疑応答が終わったらさっさと帰れ」
「判りました」

 にこり、と笑う黒神に、浩司は溜息をつくしかなかった。 この際、不法侵入だなんて言っていられない。言ったところで神様に意味はない。空間転移をすることは、神の誰にでも成せる技なのだ。

「何故私と彼女が今日会うと、判った?」
「…、黒神の能力をお忘れですか?」

 神にはそれぞれ特別な能力がある。黒神には、数分先の未来が見えるという力があり、それを見たから、ここに来たのだろう。
 浩司は呆れながら台所に立った。時間的に夕食の時間だから、自分の夕食を作るためだ。鍋に水を入れて、コンロに置く。それから火を付けて、まな板を置く。そこまで整えて、浩司は小さく、強く、黒神に問うた。

「戦いの舞台は、この人間界なのか?」
「…はい」

 その答えに、浩司は溜息をつくわけでもなく、仕方無さそうな顔をした。そうするしかないのか。それ以外の方法はないのだろうか。簡単に答えの出る問題ではないのは判っていたが、考えずにはいられなかった。

「本当にそうなってしまうのであれば、私はいずれ『水未浩司』という私を知る人間に、全てを言わなくてはならなくなるのかも知れんな」
「…そのときは、仕方ないのだと思います。あなたが、理由あって人間に擬態していたのですから。それにあなたが天界を追い出されたのは…、創造主が」
「…判っている。それ以上、言うな」

 その声音が苦しそうで、ノーベは追随するのをやめた。誰にも傷はある。それを抉ろうとするのは厭味だ。

「では、本日はこれにて失礼します。また、来ます」

 そういった直後、黒い粒子がノーベを包み込み、そして、消えた。

「…元から無理なことなんだ…我が愛しき姉よ…」

 最初から、平和を手に入れることなど、無理な話だった。

◆ ◇ ◆

 闇は、誰にでも存在する。 それが深いか、浅いか。ただそれだけで、決められるものがある。それは、神の力だ。深い闇を背負っている者ほど、強い力を持っている。それは、神様になる前のことだ。天使として生を受けた時に判るものだ。

 クズルはとても強い力を持つ神だが、自分自身が何故こんなに強い力を持つのか、昔はとても疑問に思った。
 深い闇を持つから、強い力を宿している。そう聞いたときに、自分が知らない過去のことが、とても気になった。自分は水未浩司と言う人間だった。それは確かな話だし、そこまでは思い出せる。でも、自分が生きていた時代が、良く判らなかった。

 その日の夜、浩司として、彼は奏にターゲットにされた美術館の近くの高い木の上にいた。
 ただの学生の姿でどうやって戦えばいいのだろう。そう思うと無性に切なくなった。今の浩司としての姿では、安定させるための媒介を使わずに中・上級魔術が使えない。それ故、神であった頃のように連発することが出来ないのだ。

「…仕方ない。あいつを呼び出すか…」

 ぽりぽり、と後ろ頭を掻いて、面倒くさそうに虚空に円を描く。その円は、青白い光を放っていた。それに呼応して、浩司の手に握られた青き宝石が輝きだす。

「…盟約の元命じる」

 その言葉とともに、描き終えた魔法陣が青く光りだす。

「…ラヴィリト・リデスルス!!」

 その名を呼んだ。呼んだと同時、ぽんっ、とまるで手品のように、それは姿を現した。青く、そして小さなそれは、とても小さな妖精だった。浩司は、ふらつく自分の体を何とか踏ん張って、その場所に留める。

「…っ、はぁ…、これだけでへたばってるというのが気に食わんな…。ラヴィリト・リデスルス…いや、ヴィリト。これは盟約に基づいた命令だ。今の私の姿をとれ」
「判った」

 アメリカンチェリー2個分ほどのその妖精は、次の瞬間浩司の隣に浩司とまったく同じ姿で居た。

「他にはなんかある?」

 そして、声まで同じ。浩司―――いや、クズルにとって、彼が同じ声になることは別に不思議なことでもない。驚きもせずに、話を続ける。

「その姿で、私の代わりをしてくれ」

 媒介を必要とする召喚魔術でこれだけ疲れることを情けなく感じつつも、浩司はクズルへと姿を戻した。浩司に比べてみるととても楽になる。踏ん張っていた足も、踏ん張る必要がなくなった。

「ノーベから話を聞いているかもしれないが」
「敵対者のこと?」
「…やはり、聞いていたか…彼女は、私のこの姿を知らない。だとすると、私はこの姿で戦うことが出来ない。浩司の姿をしていると魔術もまともに使えない。だから私はクズルの姿をしていなくてはならない。…そのために、お前に頼む」
「…りょーかい。で、口調は?」
「私…じゃない、俺の口調にあわせろ」
「そっちも了解。で、『浩司』をやる期間は?」
「戦いが終わるまで。いや…、いつなるかは判らないが」
「これから当分『浩司』になるわけか…。でも、何もなければ僕は元の姿でいいってことだろ?」
「あぁ」
「じゃ、構わないよ。で、これからどうすんの、クズル様? あ、レイェン神て呼んだ方がいい?」
「どっちでも構わん。香野奏が別の姿をしてこの美術館に乗り込むだろう。そして、物が盗まれるのを極力阻止。どっちにせよ、最終的には私が迎え撃つ」
「OK。…残りは、あとでってことで」

 そういうと、浩司の姿をしたヴィリトは、木から飛び降りた。それを見つめながら、クズルは浩司の姿をクズルである元の姿に戻し、思案する。
 ヴィリトの能力は確かに高く、妖精にしてはおかしい力だ。生前の姿が判らないが、彼はとても力のある存在だったはずなのだ。罪を犯し、妖精になってしまったという話は遥か昔に聞いている。
 その罪に対しての宿業を、彼はまだ成し遂げていない。力の制限を多少なりとされているはずだ。
 少しばかり心配ではあるが、と小さく呟いて、クズルは美術館の屋根へ飛び移った。

◆ ◇ ◆

「…今回狙われたのは、これか…」

 そういって絵画を見る浩司の傍には警備員の姿が多数あった。この場所に入ることが出来たのも、本来人間に関与してはならない神が関与したことによる。
 それは、ヴィリトも重々承知だった。
 神に選ばれた人間ならば、とこの中に入れてはもらえたのだが、ヴィリトにせよクズルにせよ、どちらとも人間ではない。神々も口実をあわせたというわけか。

「…クズル様、宿業負ってるの覚えてるのかなぁ…」

 ぼそりと呟いた声は、誰にも聞こえない。覚えてなかったら困るなあ、と自嘲のように呟いて、本日何度目かの溜息を吐いて、その絵画から目を離したとき、「ヤツが来たぞ!」とどこかの警備員の声が聞こえた。

 その声を聞いた浩司…いや、ヴィリトは明らかにその相手に敵意を向けて、自分の正面に魔法陣を描いていた。

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2005/07/11
(2007/09/23,2009/11/19,2010/01/02 加筆修正)
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