:: 01 ハジマリ ::

『消えてください。私のために。』

「…ッ」

 判っていた。彼女が、自分を殺さなくてはならなかった理由を。それなのに、どうしてお前は、私を逃がしたんだ―――…?

◆ ◇ ◆

 神の住まう世界から2段下がった人間界。そこに、水の神がいた。名を、クズル・レイェンという。この世界では『水未 浩司(みなみ こうじ)』という偽名を使い、生活をしている。
 彼は、全ての世界の水を統べる者と言われる。

 そんな神が、神らしからぬ疲れ切った顔で、微々たる黒いオーラを漂わせ、仕方無さそうに足を動かしていた。

 神としての年齢は、今年で丁度17万3千歳。クズルとしての姿では20歳程の外見のため、外見年齢は17歳程度に調節している。神の外見年齢は、神になったときで止まるため、彼は20歳以上姿が成長することはない。それゆえ、人間の姿をとる場合は精神とは合わない若さで存在しなくてはならない。

 諸事情で彼は人間に擬態して、神々から逃れている。…逃れなければならない理由は、ただひとつの事件。それが理由で、クズルは『水未浩司』でいなければならなかった。

 いつも通りの授業その他etc... 特にやることもなくぼーっとしているだけ。歴史を専攻しているが、それは単に得意科目で勉強をしなくてもいいからという理由で選択した物だった。その予想は外れることがなく、テストもほぼ満点。
 神として、この世界を見続けていたから、歴史だけは詳しかった。

「浩司!」

 未だに、その名を呼ばれても違和感がある。だが、『浩司』はこの学校でただ1人。『水未浩司』しかいない。
 振り返ると、理髪そうな黒髪の少年がいた。名前を『名塚 眞澄(なづか ますみ)』という。女のような名前だが、格好・口調・性格・性別はもっぱら男のクラスメイト。いつの間にか、浩司は彼の友達にされているらしい。
 話し相手がいるのといないのとでは、いる方がいいと浩司は思っているのだが、なにぶん真澄は元気で、浩司とは正反対だった。

「今日あいてるか?」
「別にやることもないが」
「なら図書館いかね?」
(図書館…か…。まぁいい…ちょうど調べておかなくてはならないこともあったし…)
「判った。行こう」

 その返答に眞澄はぐっと親指を立ててにっこり笑うと、浩司を引きずるようにして図書館へ向かったのだった。

◆ ◇ ◆

 乱暴に鍵を開けて扉を放つ。靴を脱いでそのままリビングに直行すると、ソファーにカバンと上着を脱ぎ捨てた。

「…収穫は特になかったな」

 探していた文献は見つからずじまい。蔵書を漁っても出てこなかった。

「古過ぎか…。さすがに100年も前の文献はあのようなちっぽけな図書館にはあるまい…。期待しすぎだったな」

  さっさと寝よう。そう思って浩司は風呂に入ろうとしたところだった。

「…? 魔光石が光ってる?」

 不審に思いながら、部屋の片隅のオブジェと化した神としての所持物に手を近づける。すると、石は突然光を帯びた。
 その光の凄さに浩司は目をつむってしまう。次に目を開けた時に、自分の姿が神であるクズル・レイェンになっていた。
 己の魔力で封じていた神の姿。学生身分の17歳の人間の姿より、幾分か身長の高いその姿。それが、何者かによって解き放たれてしまったのだ。

―――貴方が、クズル・レイェンですか…?

 魔光石からの声に、さすがの神も、突然のことで慌て、誰だ、と声を荒げる。慌てたその声に、クズルに問いかけた声の主は、光を帯びて姿を現した。

「…お久しゅう御座います、レイェン神」

 そうして現れた黒髪の女性は、にこり、と微笑んだ。クズルはその姿に見覚えがなく、久し振りだと言われても反応に困ってしまった。

「…とはいっても、貴方様本人が私のことを知るわけがないのですが」
「…? 黒神(こくしん)か?」

 そのクズルの問いにこくり、と女性…もとい、黒神は頷いた。

「…世代交代を行いましたので」
「…道理で見覚えのない姿だ。シェール神は…どうなった?」

 以前の黒神の名を上げると、その新しき黒神は首を横に振る。それから、前の黒神であったシェールは、千年程前に世界から消えたと言われ、その言葉にめまいを覚える。千年。その年数は、長かった。

「…私が下界に下りてから、こちらの年数ではまだ1年…。4000倍の比率か…」
「そのようです。…そのため、新たな黒神として、私が選ばれました」
「その黒神がなぜ身を隠していた私を見つけ出す必要があった?」
「今、天界は、神々で対立が起こっています」
「…対立?」
「はい。…人間という存在を、滅するか否かという対立です」

 人に力を与えてきた神が、何故今になって人間という存在を滅ぼすなどということを考え始めたのだろうか。クズルには、理解ができなかった。
 天界を逃れ、天界歴で早5000年となる今日だ。5000年の間に何があったのかはまったく知らない。

「それは…っ、どういうことだ!?」
「…私も、それはよくわかりません。ですが、こうなった以上、神々の戦いは免れないでしょう」
「北欧の神々と同じようにはさせまい」
「…北欧神…ですか。…私たちの時代よりも前に滅んだ神々…。確か、神々の黄昏とラグナロク、そう呼んでいたものですね?」
「…あぁ」
「それはおいて置くとしまして、その破滅を免れるために、探しに来たのです」
「…私を、か」
「…はい」

 4大元素、「火」、「水」、「地」、「風」の神々は、それぞれ個々にとても強い力を持つ。だからこそ、味方にすれば心強いことこの上ないのだ。

「…残念だが、私は天界にもどる気はない」

 そして、その分4大神は非常に頑固なのである。クズルの返答に、黒神はそういうだろうとおもっていました的な顔でクズルを見た。

「…えぇ、天界には戻るつもりはありません」
「ならどうするというんだ?」
「…戦場は、ここ、人間界になります」

 神々の戦場が、この人類の生きる世界、人間界で行われるというのか。クズルは目を丸くして立ち尽くしたまま、黒神の言葉を冷静に考えていた。

「…私は、人類を滅ぼすことに反対しています。そして、火、地の神は人類を滅ぼすことに賛成しているのです」
「既にその2神が…そちら側についたと…?!」
「はい。そして、この世界を滅ぼすために、選ばれた人間…悪魔と変わりないそれを、この世界に放ったとのことです」
「…となると、こちらも人間を選んで…」

 クズルがそう冷静に考えていると、黒神はにこりと笑いながら、クズルの言葉を遮った。

「その必要はありません。レイェン神、あなたにやっていただくために私がこちらに赴いたのですから」

 『あなたにやっていただくために私がこちらに赴いた』―――その言葉に、クズルは至極驚き、威厳のあるはずの水神も開いた口が塞がらなくなっていた。
 どう言うことだ、と問うのが精一杯で、その問いに、黒神は緩やかな笑みを湛えながら答えた。

「レイェン神は、二つの姿を持っていますから。私たちは1つの、神の姿のみとなってます。それは、貴方が水の神だから。水は、変化自在ですからね」
「…いや、それはわかるのだが…」
「ですから、普段は『水未浩司』として生活をし、そのような事柄の際にはレイェン神として…。そう、行動していただくために参りました」
「そうか」
「それならば、現在の人間としての姿に支障をきたすようなことはない…と思います。ただ、不安なのは……敵の姿が、わからないということです」

 それが判らないのでは意味がないではないか。そういうと、黒神は苦く笑う。

「…情報では、手始めに人間の文化を壊す、と聞いています。それから推察するに、美術品などの強奪ではないかと推測しています。その技術がなくなるのは惜しいことですが、だからといって人を殺さないというわけにはいかない様で」
「…そう考えると、徹底的に美術館や博物館を守った方がいい…ということか。いや、だか…」
「それだと、追いつきません」
「あぁ…。そうなると、どうすれば…」

―――水未浩司。

 突然頭に響いた声に、クズルは顔を顰めた。聞き覚えのない声。だが、はっきりと判ったのは女の声であること。
 動きを止めて、険しい顔をしているクズルに、黒神は何かあったのかと尋ねる。頭に響いた声を聞き取るために、黒神に喋ることをやめさせ、その声に集中した。

―――守護する者、ね?

(…そうなるな)

―――ならば、私の敵。

(そうか…お前が、選ばれた人間か)

―――お前に負けなんかしない。私は、負けるわけにはいかないから。

(だったら、それを潰しにかかるまでだ)

―――せいぜい、頑張ることね。

 風が舞うように、頭に響いてきた声は消えた。

「…敵の姿が一部だけ…女、ただそれだけは、判る」
「…判りました。上の方に伝えて置きます。あぁ、そういえば自己紹介が遅れておりました。新しき黒神、ノーベ・アルカニアです」

 ノーベ・アルカニアか、と覚えるようにその言葉を口の中で転がす。今まで一度の聞いたことのない名だというのだけは判った。シェールに弟子はいなかったはずだし、天使の中から選抜したのだろう。

「…私の自己紹介をするのは必要もないと思うが…クズル・レイェンだ」

 その言葉に、ノーベはにこりと笑う。そして、クズルの手を取り、手の平に一つの小ぶりな宝玉を置いた。これはなんだろうとクズルが首をかしげて思案していると、連絡手段に使っている宝玉だ、と短く説明を受けた。

「貴方は、お持ちではないでしょう? 何かありましたら、その宝玉に思念を乗せて下さい。精神はこちらへ来ることになりますので、授業中などにはやらない方がいいと思います」
「判った」
「…それでは」

 びゅっ、と黒い風が舞うと、そこにノーベの姿はなかった。

「…負けなどしない」

 彼女が、生きていた世界。それを、壊させなどするものか。そう心に刻みながらぐっと握った拳の中には、赤く輝く、ルビーともコーラルともいえぬそれがあった。

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2005/07/06,07
( 2010/01/02加筆修正)
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