*19 囚われの太陽と無垢な月/前編*

 誰かが、名前を呼ぶ声がする。聞いたことのないはずの声、それなのに懐かしく感じる。この声を昔から知っていたような錯覚を覚える。
 暖かい声。まるで、太陽みたいな人。そう思うけれど、どこか月のように神秘的。そんな人に今まで出会ったことはあっただろうか。ないはずだ。

「俐咋!遅刻するわよ!」

 まどろみとの境界線を行き来していた意識が、耳を裂く母の声で、一瞬にして覚醒する。俐咋は、慌ててベッドから飛び起きると、身支度を始めた。
 身支度を終えて階段を駆け降りる。その先には母が待ち構えていて、両手には、お弁当と一握りのおにぎり。俐咋はその二つをしっかり受け取ってカバンに入れると、家の外へ飛び出していった。

* * * * * * * *

 正門を全力疾走で通過しながら先生方に挨拶をして、下駄箱で中履きの靴に履き替える。それから早歩きで自身の教室に向かって、開きっぱなしの扉から教室に入る。その教室がどこか騒がしく感じて、今までと違った。

「あ、俐咋!お早う」
「冠南! やっぱりもう着てたんだ…」

 高校からの友人である冠南に声を掛けられて、ツインテールを靡かせながら振り向く。彼女がもつ癖毛のハニーブラウンを見て、教室を間違えていないことを再認識する。そして、このざわつきがある違和感の中でも、彼女の存在はいつも通りだった。

「ねえ、教室騒がしくない?」
「あれ、俐咋聞いてなかった? 昨日の帰りのホームルームで、明日から教育実習生がくるぞーって」
「………そんなこと言ってたっけ?」
「りーさぁあああ…」

 まったくもう、というように呆れながら溜息を吐きだす冠南に、ごめんごめん、と苦笑を返す。教育実習生が来る、ということで教室が騒がしいのか。
 教育実習生といえば大体大学生で、その大学が進路先になっている生徒もいる。

 がらり、と教室の扉が空いて、それを開けたのが担任であると確認すると、生徒たちが慌てて席に着く。担任の後ろには暗緑色の髪を1つにして結っている青年の姿。彼が今回の教育実習生らしい。
 姿だけを見ればすらりと伸びた長身で、端正な顔付きをしている。醸し出す雰囲気がどことなく不思議だった。

「今日から教育実習生が来ることになってるのは皆知ってるとおもうから、詳しいこと省くわよー。こちらが実習生の或河くん。厚川理工学大学天文学部の出身なの」
「始めまして、或河冬哉です。天文学、特に惑星についてを専攻しています」

 にこり、と爽やかに笑う。俐咋は、その笑みが何処か被って見えていた。こんな人に会ったことはないはずなのだ。彼は一体誰に似ているのだろうか、と考えていると合点がいく。夢に出て来た人物に似ているのだ。

(似てる、どうして…)

―――また今度会ったら、あんたに言わなきゃいけないことがあるの

「…っ!」

 ふと、沸き上がってきた言葉。その言葉は、夢の中の彼が言った言葉ではない。だから、聞いたことがないはずなのだ。なのにどこか懐かしくて、言わなくてはならないような、重要性を持つ言葉。俐咋自身を急かす言葉。

「俐咋?どうしたの?」
「え…、別に何でもないよ。髪が長い男の人って、あんまり見ないよね」
「あ、そうだね。確かに見ないかも」

 ただそれだけ返した。夢の中で会った人と似ている、だなんていうわけにいかなかったのだ。
 彼は、確かに夢の中で会った青年と瓜二つだ。世界に同じ容姿をしている人は三人いる、なんて話を信じているわけではないが、どうしても夢の中の人に重なっていた。

* * * * * * * *

 彼が現れてから、1週間後。似ている、というのは払しょくできないまま、いつも同じところで途切れる夢を見続ける。特にここ連日その夢にうなされてしまっていて、しっかり睡眠が取れないでいた。
 そんな中での日直担当。憂鬱だと思いながらも仕事をこなし、日誌の提出のために理科準備室へ向かう。

(あー…戸締まりとか日誌遅くなっちゃったなぁ。先生まだいると良いんだけど…)

 理科準備室の戸をノックすると、返事がなかった。だが、部屋の明かりはついている。ならば一時的に留守なのだろう、と思い、失礼します、と言いながら戸を開けた。

(…あれ)

 そこに担任の姿はなかった。
 では、何故電気もつけっぱなしなのだろう、と考えながら視線を動かして、理由に気づく。

「…或河、先生」

 先週来た教育実習生。夢の中の人に似ている人。彼が、部屋の中にあるソファーに腰掛けながら、うとうとと左側に傾いていた。手には教科書がある。生徒に教えるところを考えていたのかもしれない。

(……誰も見てないよね。なら、しばらく見ててもいいかな)

 向かい側のソファーに大きな音を立てないようにゆっくり座り、じっ、と彼の寝顔を見る。
 何度見ても、似ているのだ。寸分の狂いもなく。姿だけじゃない、声もだ。教育実習生と生徒という間柄で、何気ない会話をする。教育実習生が授業をすることだってある。その声が、毎晩繰り返される夢で再生される声と、同じ。

 彼からうめき声が聞こえて、起きただろうか、と心臓が飛び跳ねる。起きたら言い訳はどうしよう、なんて考えていると、彼は更に左に傾いた。
 それを見てほっとする。だが、直ぐに心臓が跳ねる事態が起きる。

「…り、さ」
「う、ぇ!は、はい?」

 俐咋の名前を、呼んだ。だがその後の反応はない。もしかしたら彼の知り合いに『りさ』という名前の人物がいるのかもしれない、その人物が夢に出てきているのかもしれない、とひとりで納得させる。

「…なく、なよ…。俺は、大丈夫だから…、お前を、探しに行く…から…」
「…っ!?」

 彼の寝言。それが、俐咋の夢で『彼』が言っていた言葉。それそのものだった。

(…もしかして、を信じても、いいの?)

 彼が、夢の中に出てくる『彼』そのものだと思った。そう、信じてもいい気がした。

「次にあったら、言わなきゃいけないことが、あったの」

 夢の最後、決まって最後の言葉を口にする前に目が覚めていた。言おうとしていたことは、なんだったのだろう。彼に対して何を言おうとしていたのだろう。

「…なんだ…、よ…。お小言はごめん、だぜ……」
「……………」
「俐咋」

 何を言おうとしたのだろう、と急に真っ白になって視線を落とす。反応が返ってきたからと言うのもあるだろう。恐らく彼はまだ夢を見ているのだ。そんな彼に、自分は何を言おうとしていたのだろうか。
 その先の言葉に、心当たりなどない。

「必死になって探したんだ。どこにいるのか判らなくて。せめて約束の場所を作っておけば良かった。こんな出会いをしなくて済んだ」

 寝言にしてははっきりした言葉に、俐咋は思わず顔を上げて、彼を見た。傾いていたはずの体はまっすぐとソファーに座り、向かい側のソファーで見つめていた俐咋を見据えている。

「…元気そうだな、良かった」
「え…?」
「…忘れたのか? まあ、副作用から考えたらあり得るな。あれだけの力を使ったんだし…」

 いつから起きていたのだろう。
 元気そうだな、忘れたのか、なんて、まるで昔から知っているような言葉を言う彼に、俐咋は疑問符を浮かべて、彼を見る。すると彼は、やっぱりか、と言うように苦笑してみせた。

「…俺のこと、覚えてるか、俐咋」
「……、夢の中に出てくる人と、似てますけど」
「うわあ、お前に丁寧語使われるの違和感あるな…」

 参ったな、と苦笑しながら首を傾ける。この仕草も、どこかで見た。
 彼は一息置いて、腰を上げる。ソファーから離れるとその足は、彼に与えられたデスクへ向き、一つのカップを取る。そのカップは空だ。

「夢の中の奴と俺が似てる、ってなら、それは正解だ。お前が夢に見ていることは過去だから」
「過去、ですか…?」
「ああ、過去。かつての自分の姿だ。言い方を変えるなら前世。お前が再生のために壊した世界での最後の出来事。意識だけが残っていた俺とお前の、最後の会話」
「…天文学を専攻なさっているだけあって、ロマンチストなんですね。そんなファンタジー、あるわけない。そんなの、小説の中のおはなしですよ」

 あるはずがない、と肯定したいのは俐咋自身だった。偶然にしては出来すぎている、彼と俐咋の出会い。それを肯定するのが、得体のしれないものを掴んでしまうようで怖かった。
 そんな俐咋の気持ちを悟ったのか、彼はふっと溜息を吐き出しながら微笑み、告げた。

「では問おう、俐咋。お前が毎晩見ている夢はなんだろうか。俺とお前が瓜二つの姿でいるその夢。これはあるわけがないというファンタジーではないか?」
「…………っ…」

 肯定するのが怖かったファンタジーを、彼が肯定させる。同じ夢を見ていて、その夢はいつも同じところで終わる。全く同じモノを見ている。そして、その夢に登場する人物が、自分たちを瓜二つである。
 彼の話を鵜呑みにすれば、それは予知夢ではない。過去に起きた出来事が、フラッシュバックしている。この世界に生きる俐咋には、身にない出来事。別の世界では、あったこと。
 そんなの認めたくない。認められない。確証がないことを認めることなんてできない。

「……なあ俐咋、俺にコーヒーを淹れてくれないか」
「先生が言うなら、やりますけど。あと名前で呼ぶのやめて下さい、変に誤解されたら面倒なので」
「………、今の俺は、お前の先生、か。そうだな、思い出すまでは、そうでしかないな。残り7日で思い出してくれればいいんだけどな、『賀瀬さん』」

* * * * * * * *

 結局、コーヒーを淹れて、日誌を確認してもらって、俐咋は学校を後にした。

 夢の中で会った人に似ているだなんて 誰にも相談できない。嘲笑われるかもしれない、夢見る乙女なのねと言われるかもしれない。そのどちらも嫌だ。だけど、これを肯定することには、疑心暗鬼だ。
 そもそも自分が前に、彼と同じ世界に生きていたということも甚だ疑問である。そんな世界が存在しただなんて分からないから、仕方が無いのかもしれないのだけれど。

 夕焼けが俐咋を照らす。夜へ移りゆく空は、酷く綺麗だった。こんなに綺麗な空を見たのは、2度目だ。

「…2度目………?」

 それがいつなのかは、思い出せなかった。

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2010/07/10,11

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