*14 差し伸べられるは悪魔の手/前編*

 日が暮れようとして、オレンジと青のグラデーションが空を支配している時刻。冬哉は施設から帰宅した。唯はまだ仕事をしているのだろう、という予測は直ぐに付き、もう一人居るはずである少女の姿がなかった。
 部屋にいるのだろうかと、部屋をノックしてみても反応はない。寝ているのかと疑問に思い、そっと扉を開けてみてもそこに少女の姿はなかった。

「……俐咋がいないなんて珍しいな…」

 うーん、と首をひねりながら呟いて、もしかしたら巳捺と一緒にいるのかもしれない、とEMNTの画面で巳捺の連絡先を選び、通話を選択する。数回のコール音の後、巳捺の声だけが聞こえてきた。

『或河くん? どうしたの』
「音声だけってことは取り込み中か? 悪いな」
『うん、ちょっとね。今掃除中だったから』
「そうか、寮にいるのか。だったら俐咋はいないよな…」
『俐咋? 今日はアカデミーにもいなかったし、会ってないけど…』
「ああ、じゃあいいんだ。俐咋がまだ帰ってなくてさ」
『帰ってない…? 珍しいね。イサトとは一緒に居ないだろうし…。買い物とか?』
「だったらいいんだが」
『俐咋はEMNT持ってないの?』
「……渡すの忘れてた」
『もー…、好きで仕方ないなら心配することだってあるでしょうに』
「普段家にいつもいるから不思議に思わないんだよ。じゃあ、俐咋探すから」
『うん、判った。一応イサトとかにも聞いておくね』
「助かる。じゃあまた」

 通信を終了すると、冬哉ははあ、と短く溜息を吐いた。こんなことになるならEMNTを1台渡しておけばよかった、と後悔しても遅い。
 家に鍵をして、冬哉は街へ繰り出した。

* * * * * * * *

 ―――俐咋。

 誰かが、俐咋を呼ぶ声。俐咋はその声がどこか懐かしく感じた。この声は誰だろう、と浮遊する意識の中で考えていた。知っているはずなのに、判らない。

 ふわり、と誰かに抱きしめられた。それで目が覚めた。目の前には鶯茶色の髪を持つ青年。見覚えがあり過ぎて、俐咋はその名前を紡いだ。

「マコ、ト…?」
「何不思議そうにしてるんだよ、俐咋」
「え…、本当に、マコトなの…?」
「俺以外に誰がいるんだって。寝ぼけてる?」

 くすくす、と笑う彼。それは寸分の狂いもなく、俐咋が知っているマコトだった。それ以外の誰でもない。どうして彼が居るのだろう。
 冬哉―――アルト・ゼフィアによって、マコトや冠南、熾音は記憶を消されているはずなのだ。なのにどうして。

「俺が俺でなくなる前に、言っておこうと思って」
「え…?」
「本当は気付いてた。俺が、人とはちょっと違ってるって」

 行き成り何を言い出すのだ、と俐咋の頭は理解が出来なかった。人とは少し違う。そのことに、マコトが気付いていたと言う。でもそれは何の話なのだろう。

「いつも、自分の中に自分以外の誰かが居るようだった。無意識に俐咋を追いかけて、ふと気付いたらどうして追いかけていたのか判らなくなることもあった。なんて言うんだろうな、夢遊病と同じ感覚に陥っていたことがあったんだ。何度もね。アルトと俐咋が一緒にいると、もう一人…俺の中にいる誰かが、アルトに俐咋を渡すなと、とても強い命令を送ってくる。耐えきれなくなって、俺が意識を手放してしまうことすらあった。意識が戻ってきたことろには、俺は何をしていたのか判らない虚無感に襲われるんだ」
「ちょ、ちょっと待ってよ…。いきなりどうしたの?」
「最後の警告に来たんだ」
「え?」
「最近ね、俺の中にあった意識が語りかけてきた。お前はもう使えない、消えろと。そいつは、アーバインと名乗った」
「え…?!」

 マコトの言葉を、俐咋ははっきりしない意識の中で、必死に考えた。彼の中には、昔からアーバインの意識が棲んでいたのだ。ずっと寄生されていたのだ。
 普段はマコトとして生活をしているが、急にアーバインに体の自由を奪われる事がある。それを、彼は今まで誰にも言わなかったのだ。

 どうして今になって、今、ここで、俐咋に伝えることが出来るのだろう。彼に記憶はないはずなのに。そう疑問に思っていると、それに気付いたのか、マコトはその理由を喋り始めた。

「アルトが俺の中から俐咋の存在を消した。それは元々仕組まれていたことで、ゼフィアの一族は俺の中にアーバインが居ることに気付いていた。だから記憶を奪い去ると同時に、俺には封印をしたんだそうだ」
「……でも、アーバインは出てきた?」
「ああ。俺は本体ではないから、本体に一度意識を逃がしていたんだそうだ。それで、戻ってきたらしい」
「そこまで聞き出せたあんたが凄いわ…」
「ふふ、俐咋のためだからね」
「私のため?」
「ああ。言っただろ、最後の警告だって」

 その言葉を口にすると同時に、マコトの表情が急に強張った。

「決して、アーバインの願いを叶えちゃいけないよ」
「え…?どうして断言できるの?」
「勘だけど、あいつは破滅を望んでる。そんな気がしてるんだ。だから、俺が俺でなくなる前に、破滅なんて望まないでほしい、と俐咋に言いたくて」

 マコトがマコトでなくなる前に。その言葉が理解できなくて、俐咋は首を傾げた。

「破滅は望まないわよ。みんなの生きている世界が大事だから。でも、マコトがマコトじゃなくなるってのが判らないんだけど…」
「……言った通りさ。俺は、自分の中にアーバインってやつが居たんだ。だから…」

 だから、と言葉を続けようとして、マコトの姿が薄れた。何故だと俐咋が慌てると、マコトは目をつむり、時間かな、と短く呟いた。

「俐咋、言っておきたかったことがあるんだ」
「うん、何?」
「俺、俐咋が好きだよ。イーザであった俐咋も含めて、全部」

 その声が聞こえて、俐咋が驚いたその一瞬で、マコトの姿は消えた。

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2010/03/22

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