*02 出発の駅へ/前編*

「ゼウス、ね」

 ぽつりと呟くマコトの声に、『俐咋』が一言付け足す。それは、地球に存在する神話の一つ、ギリシア神話の最高神の名だと。

 それから暫く沈黙が続いて、その沈黙を冠南が『俐咋』を呼ぶ形で破る。体が気だるいままで何かと聞くと、今までどおりに『俐咋』と呼んで構わないのかと聞かれた。

 それは素朴な質問。けれど、彼女達にとっては大問題―――かもしれない。何故なら、『賀瀬 俐咋』が本当の名前ではないからだ。ならば本当の名前で呼んだ方がいいのではないか、と誰でも思うことだろう。

「俐咋、って呼んでくれて構わないよ? でも、出来れば…イーザの方が呼ばれなれてるから、そっちの方がいい…、けど…さ」

 だからといってそれを強要などしない。『俐咋』として生きている時間も大切で、『イーザ』として生きている時間も大切。『俐咋』として接してきた彼らを突き放すつもりもない。好きなように呼んでくれて構わない。

「じゃあ、俺はイーザって呼ばせてもらうよ。今後もその、マスターたちが出てくる可能性はあるんだろ? 俐咋って呼んだら混乱するんじゃないか? …マスターのほうが」

 マスターのほうが、とそこを強調して言うマコトに『俐咋』は思わず噴き出した。マスターが困るなんてことはない。存在の波長で誰が誰なのか判っているからだ。彼らはその話を知らないのだから、そう思うのは無理もない。
 その心配に抱腹絶倒しそうな勢いで笑う『俐咋』に、マコトが頬を膨らませてすねる仕草をする。ごめんごめんと謝りつつも、ツボに入りすぎて抜け出せなさそうだ。

「そうだね、イーザって呼んだ方が混同しなくて済みそうだし、俺もそうさせてもらおうかな」
「あ、私も…。でも、4人だけでいるときは、俐咋、って呼ぶからね?」
「うん、判った」

 4人でいるときだけは―――。『イーザ』は自分が『俐咋』で居られることに驚いてしまった。だけれど、そんな表情は微塵も見せずににこり、といつも、彼女達と話すときと同じように、『イーザ』は笑った。

「そういえば…メイラさん、だっけ? あの人、綺麗だったよな〜…」

 余韻に浸る熾音に3人全員が笑う。熾音の頭の中には、メイラのことしかないのだろう。『イーザ』も、確かにあの人は綺麗だったと思い浮かべて考える。
  あの人は、確かにきれいだ。でも、確か何処かで会った記憶がある。そんな気がする。

「…ゼウスの、使者…か…」
「イーザ、どうしたんだ?」
「なんか、どっかで見た気がするんだよねぇ…あの人」

 『イーザ』は、そのもやもやが取れず、思いだせずに腕を組み、うーんと唸る。そう『イーザ』が唸っているとラインが奥の方から姿を現して一言言った。

「メイラはゼウスに集まった時、仕切ってる奴だろ」
「あ、そうか…!」
「でも、メイラさんはゼウスの…その、マスターじゃないのか?」

 ふと出た熾音の問いにラインが後ろ頭をぼりぼりと掻き、難しそうな顔をする。その表情は言うかどうかを迷っている顔だ。『イーザ』を一瞥すると、いいんじゃない?とアイコンタクトを取ってくる。ならいいかとラインは口を開いた。

「マスターはアルト・ゼフィアっていうヤツだ。声だけは聞いたことはあるが、実際会ったことがある者は殆ど居ないらしい。ある意味ゼフィア一族は神の一族でもあるから、反逆とかあったら困るから姿隠してるのかもしれないんだがな」
「神の、一族?」

 聞きなれているものの、実際に聞くと違和感のある言葉。『神の一族』。その単語に、マコトが思わず聞き返した。するとラインはまた面倒くさそうに後ろ頭を掻き、喋り出した。

「ゼフィア一族はこの世界全体を作ったって言われてる。0〜5セクターまで、全て。デスマスターが持ってる武器も元はゼフィアが所持していた武器だって噂もある」
「その噂は私も聞いた。でも、何故か2セクター以下は種類が鎌しかない」
「1セクターは魔法使いだからとかなんとか、形状が違うらしいが…」
「形状が違うのは事実だけど。それがゼフィアのモノだったら本当に凄いなぁ、ゼフィアって」

 『イーザ』とラインが感嘆している半面、3人は今一理解が出来ずに疑問符を浮かべて考えている。それに『イーザ』は気付いたが、敢えて深く説明することをやめた。判らないなら判らないままにしておくのが、今後としてはいいのではないかと思っているからだ。
 深く知らなければ、直ぐに抜け出すことができるから、大切な幼馴染たちを厄介事に巻き込ませずに済むから、だから、教えないことにした。

 だが、彼らにそれが理解できなくても、彼らには1つだけ理解できたものがあった。―――『俐咋』が『イーザ』として住まう世界は、自分たちの世界とは全くの別物だということだ。

* * * * * * * *

「ふあ…っ、やっぱり3セクターのこの地域は平和だなぁ…っ…!」

 ぐーっと身体を伸ばしてイーザは芝生に寝転んだ。青々と茂る草の匂いが心地よい。眠気に誘われそうになっていると、後方から声がした。 その声の主が誰かなんて判っていたから、ゆっくりと体を起こすと、描いていた通りのライン本人の姿があった。

「2セクターに比べると平和すぎるくらいだろ?」
「そうだね、2セクターはある意味、犯罪世界といえる気がする」

 毎日流れるニュースで取り上げられるのは、自殺やら殺人やらといった類のものばかり。報道関係の仕事に就いている人はそういったことを探して報道するのが仕事だけれどあんまりすぎる、と思う。

「本当、この地域で助かったよ」
「ティランダのところだったらどうなっていたやら、だな」
「あの人…、私のこと嫌ってるしね」

 デスマスターが誰しも仲が良い訳ではない。そのいい例がティランダというデスマスター。彼女は一方的にイーザを嫌っている。理由もなしに嫌われているという場合もあれば、古参一族同士のために昔からいがみ合っている場合もあり、仲の良くない者だって沢山居るのだ。

「シーラン、大丈夫かな…」
「ああ、あのアナザーに飛ばされたって言う? アナザーに放り出されて生きていたと言う事例は無いよな…、最悪の場合を考えるのが最もだ」

 その言葉に、ふとイーザの顔が曇る。まずいことを言ったかなと後ろ頭を掻きながらイーザを見て、その表情が変わらないのを見かねて別の話題を出すことにした。
  話題をシーランから逸らすために口を開いたものだから、どうしようかとぼりぼりと後ろ頭を掻きながら言うラインにイーザは首をかしげる。

「何、どうしたの?」
「いや、メイラにゼウスに伝えることは、って聞かれて、お前があんなことを言うとはなーって」
「少しぐらい、無理は聞いて貰わないと。事実的に被害を受けてるのは私たち2セクターだしさ」

 それに、とイーザが表情を曇らせながら言葉を続けた。2セクターから無関係の人を巻き込んでしまった、守護者としてあるまじきことをしたと。

「せめて、あいつらだけでも保護してもらえれば助かるから…」
「そうだな…。ゼウスならお前の保護は必要なくなる」

 そうすればイーザ本人の負担はとてつもなく軽くなる。今も尚、彼らを保護しているイーザは少しでも力を使ってしまえば倒れてしまうぐらい。それぐらいの保護を彼らにかけているから。

 ふ、とイーザとラインの視線が一点に集中する。何かが見ている気配がする。それが感じ慣れない気配で、イーザは直ぐに立ち上がった。今、イーザが出て行って、この気配が敵だったとしたら、彼女に勝ち目はないからだ。それくらい長年の勘で判っていた。

「さて、戻るかな」
「あぁ、そうしたほうがいい。あっちは俺がどうにかしてくる」
「うん、宜しく。誰か来たのは、明確だもんね…」

 平静を装って、いつも通りだと言わんばかりにバイバイと手を振って立ち去る。ある程度歩いたところで、イーザを見る気配が途切れて、急いでラインの家に戻った。すると、そこでは暢気にお食事中だった。
 お帰りと言われて、ただいま、と返す。当たり前であったはずのこの挨拶が、どこか違って感じてしまう。それは自分の家ではないからだけではない気がする。

「散歩がてら寝てたとか?」
「まぁ、途中でラインに叩き起こされたのですけれども」
「結局寝てたんじゃないか」

 マコトに痛いところを言われて苦笑する。しかし、今はずっと起きているのが辛い。3人に強力な保護をかけているせいで寝ていないと保っていられないのだ。
 眠さに勝てずに机で寝てしまいそうになることもあるし、先程の様に草むらで寝てしまいそうにもなる。一度睡眠に入ってしまうと、簡単には起きれない。それを自分で判っているからこそ、直ぐに寝ようとはしない。多少無理をしてでも起きていようとする。3人に心配をかけるわけにもいかないのだ。

「こちらにイーザさんはおいでかな?」
「―――!?」

 突然リビングに声が聞こえた。気配が全く無かった。その声に驚いて出入り口を見ると、ラインが抱えられていた。身長も高く、それなりに体重もあると言うのに、それを簡単に抱えている。ラインを抱えていたのは、どちらかと言えば黒に近い緑色の髪の青年だった。

「ごめんごめん、驚かせちゃったか」

 ちょっと寝床まで運びたいんだけど場所が判らないから教えてくれる?と言われて慌てて場所まで案内する。それからまたリビングに戻ってきて、話は再開された。

「ラインがいきなり攻撃を仕掛けてくるもんだからビックリして思わず気絶させちゃってさー」

 そういう青年の口調は至って軽いのだが、『思わず』で気絶させたのが凄いとしかいえない。イーザは青年を訝しげに睨んでいると青年が慌てて答えた。

「え、俺睨まれるようなことした?」
「いや、怪しさ満点なんですけど」
「そっか、そうだね」

 ぽん、と手を叩いて、自己紹介がまだだったと口にした。ラインを運ぶのに必死で忘れていたのであろうか。

「諸事情で名は名乗れないんだけど、一応ゼウスの関係者。メイラって使者がこっち来ただろ? 不安だったら聞いてみてくれよ、『黒っぽい緑の髪の陽気なのが来た』って」

 彼は、自分でも陽気な人間だとは判っているらしい。特定の人物の名を出されたとなれば、信じずにはいられなかった。だが、デスマスターであるイーザには信じられても、人間である3人には依然変わらぬ疑いの眼差しを向けられ、「何で名を名乗れないんだ?」と熾音に問われてしまった。

「いや、だからそれは諸事情。その事情は言葉に出来ない事情って言うか、家庭内事情って言うか何ていえばいいんだろう。つーか家庭内事情って何や」

 思わず自分で突っ込む青年。本当の理由は家庭内事情というわけではないようだ。

「俗の通り名が本名ではないんだけど、そっちの名前を出すのがセキュリティ上まずくてね。勘弁してよ」
「ならば本名を」
「いや、そっちは家族しか知らないからダメ」

 他の人には教えちゃいけないんだ。そういう青年に冠南も頬を膨らませた。

「で、本題は?」

 イーザがそういうと、その言葉を待ってましたと言わんばかりに青年は急に笑顔になった。それから、わざと思い出したような仕草をして言う。

「イーザ、お前のゼウスへの願い、届いたよ」
「…マジで?」

イーザはありえない、と言う顔で青年を睨んだ。

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2006/12/13,2007/01/07
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