願いを込めたそれは、特別な

 それは、一つの防衛策。
 一年で一度、今日この日だけ。
 私だけが使うことを許された、特別な呪文。

 一体どれだけ手を抜けば、書類が山のように積み重なるのか。
 コーヒーを一口飲んで、ほっと一息ついた私の視界に映る、紙の山。その向こう側にいる、山を作った当の本人は、珍しく楽しそうに書類を片付けている。
 書類の山の端っこ、少しだけ開いたスペースには、先程ケーリッド姉妹が微笑みながら持ってきた、みたらし団子。流石に十串は多くないだろうか。確かに、勉強とか頭を使うと異様に糖分が欲しくなるけれど、……十串は多くないだろうか。
「イーザ」
「何?」
 楽しそうに、ある意味不気味に書類を片付けるアルトが私を呼ぶ。
「一つ確認するけどさ」
「何よ」
「みたらし団子は、ケーリッド姉妹からもらったものだから」
 知ってる。というか、その場に私もいた。私はコーヒーをもらって、アルトはみたらし団子をもらった。
「それが、何?」
「いや、別に」
 それでもどこか楽しそうで、すごく嫌な予感が、する。
 けれど私は、後ずさるのではなく、前に進んだ。
「笑ってるけど、仕事は進んでるんでしょうね?」
 朝に比べて、山の減りは少し緩い。それを知った上で、私は紙の山に近付いた。
「なあ、イーザ」
「ん?」
 先程よりも少し低い声で、アルトが私を呼んだ。
「今日、何の日か知ってるか?」
「そんなことよりも、ほら、仕事」
「俺にとっては、そんなこと、じゃない」
 ガタリ、と音がした。左手首を掴まれて。まっすぐな双眸に捕らえられて。動けない。
「イーザ、ト」
 本当はすごく絶望的な状況のはずなのに、私の心は思っていたより穏やかだった。その心の内で、優しき協力者に礼を述べる。
 有難う、ケーリッド姉妹。
 耳に近付くアルトの口目掛けて、私は団子をつっこんだ。もちろん、団子の串を握ったのは、密かに後ろに回していた右手。
「む」
 アルトの言葉は、団子と共に口の中に収まった。
「イーザ、これ……」
「行儀悪いから、食べてから喋れ」
 そのセリフを告げる私の表情は、きっと晴れやかなものだ。そして私は、今日この日、このアルトという生物に対して、優しさなど持ち合わせるつもりは無い。
「一つ確認するけど」
 聞いたことのある言葉に、アルトが私を見る。何も言わないのは、口に団子があるから。
「みたらし団子は、ケーリッド姉妹からもらったものよね」
 その先に続く言葉を理解したのか、アルトはどうにか団子を飲み込むと、笑った。
「言っとくけど、もらったからには、俺の団子だけど?」
 本当はそんなことは関係ない。単に油断させたかったから。アルトが世界的に広がっている呪文を言う前に、私は私だけの呪文を言わなければならないから。
 だからこそ、礼を述べる。有難う、……アルト父。
「Trick not Treat」
「だから、団子は」
「私、orなんて言ってないけど」
 アルトが不意に沈黙した。不意も何も、思い出してるだけ。
「not?」
「そう、not。お菓子なんていらない。私がアンタに悪戯するの」
「お前、急にそんなの言っても……」
「じゃあ確認してみたら?」
「え」
 と、意外だという表情のアルトに微笑みかける。
「notルールを決めたのは、あんたが尊敬してる、お父さんよ」
「なんで」
「みんな親切でいい人ばかりで良かった。アンタにもてあそばれるだろう私を心配してくれたのよ、ケーリッド姉妹も、あんたのお父さんも」
「もてあそぶって、酷いな」
 至極当然の事実を言ったはずなのに、アルトは何故か苦笑していた。けれどもそれは本当に一瞬で、次の瞬間には、いつものアルト。
「じゃあ、Trick or Treat。これで俺もイーザに悪戯」
「できないけど?」
 アルトの言葉を遮って、はいここから説明、素晴らしきnotルール。
「notを言われた人は、orはもう言えないの。notを言ってもいいのは私だけだし、notを言われるのは、アンタだけ」
「何だよそれ……」
 理不尽だろうが、何だろうが、お好きにどうぞ。
「言っとくけど、作ったのは、アンタのお父さんだからね?文句あるならお父さんに言いなさい」
「無理に決まってるだろー」
 アルトは拗ねたように言い放った。反対に私は上機嫌。
 けれども、また不意に、アルトは黙り込む。
「じゃあ、私からアンタへの悪戯として、今日一日ここで仕事をみっちりし」
「イーザ」
 遮られた言葉。楽しそうな目。私の方が有利なはずなのに、嫌な予感が拭えない。
 アルトは私の隣まで来て、右手を取った。
「な、何」
 声が上ずっているのは、予想外の事態だから。
 アルトはそのまま、私を向かい合わせると、あろうことか跪いた。
「さあ、今日は何をなさいますか、お嬢様」
「は?急に何よ、それ」
 今日が今日だからこそ、動揺は見せたくない……のに。
「そういうことだろ。今日一日、俺はイーザの下僕」
「違うって!そんな怪しい方向に持っていかない!」
 なんて叫びが簡単に通じる相手ではない。
「それに、今日はここで仕事って言ったでしょ!」
「お部屋ですね、かしこまりました」
「え、ちょっと!」
 なんて言ってる間に、お姫様抱っこをされていた。
「降ろして、アルト!」
「暴れるとお仕置きですよ、お嬢様」
「お仕置き権限は私にあるんじゃないの、ねえ!!」

 私だけが使うことを許された、特別な呪文は
 届くようで届かない距離に
 伝わるようで伝えられないアナタに
 特別な意味を示せただろうか
 それは一つの防衛策
 知ってたよ
 どんな対策を練ったってほら、アナタの方が一枚上手
 だから私はアナタの虜


鳴葉ゆらゆさんからハロウィンアルイザ!
アルトの変態加減を上手く捉えておられて、感嘆と同時に身悶えしました。脳内大丈夫か私。普通に脳内でアルイザが動いています。
この執事アルトを本気で絵に描き起こしたくなってしまったので、多分、やります。そのうち。
素敵な悪戯(笑)有難う御座いました…!