堕ちたのは

  落ちる、と思った時は既に傾(かし)いでいて。
「俐咋!」
 誰かが叫んでいるのに、誰という認識もできなくて。
 何か冷たいのと温かいのとに包まれた感覚がして、そこから記憶がぷっつりと途切れた。

「……が、……で」
「……た。……、あ……す」
 ぼそぼそとした囁きが、静寂の中に響いて私を現に呼ぶ。
「ん、るさ、……」
 うるさい、と言おうとしたのに、声がかすれてうまく言えない。そもそもここは何処だ。目を開いて、見えたのは天井。横にはカーテン。下には保健室によくある白いベッド。
 ベッド?
 確か……記憶が間違ってなければ、私がいたのは、外。学校のプールで泳がないかとあれに誘われて、日焼けするから嫌だって言って、でも結局プールサイドにいて。何故かあれも泳がずにいたような。私は日焼けが嫌だと言っていたのに日傘を忘れて、……ああそうか。
 倒れたのか、私。
 ぼーっと状況整理をしていると、ゆるりとカーテンが横に寄せられた。
「大丈夫か」
 そこにいたのは、言わずもがな、冬哉。何故だか、普段結っている髪を解いて、タオルを被っている。
「うん、一応」
「悪かった」
 珍しく素直な冬哉に目を見張る。
「俺のせい、だよな」
「いや、日傘持ってかなかった私も悪いし。……ところで」
 私は、まじまじと冬哉を見つめた。
「なんでタオル?え、あ、全身濡れて……るの?」
 ゆっくりと起き上がって、手を伸ばす。伸ばしかける。それを止めたのは着ていた服が変わっていたから。いつの間にやら体操服。
「まさか」
「違う。保健の先生だから、そこは」
 安堵の溜息を吐いて、本題に戻す。
「私、プールに落ちて」
 確認するように呟く。
「何かあったかいのと冷たいのを感じて、……あ」
 私は、ようやく真相を見つけた。
「もしかして、助けて、くれた?」
「……助けるだろ、普通」
「この先、私の力が必要だから?」
「そうじゃなくて」
 冬哉は歯がゆそうに、眉間にしわを寄せた。
「じゃあ、何」
「分からないか?」
 私の言葉を遮って、冬哉が耳元に唇を寄せた。
「ちょ、何」
「あ、耳弱い?もしかして」
「……っ、み、耳元で喋らないで」
 顔が熱い。赤くなっていると思う。それなのに、こいつの答えは。
「ヤダ」
「も……う、やっ」
「じゃあさ、ゲームしよ」
「は?」
 思わず、間の抜けた声が出た。
「この状況で、ゲーム?」
 冬哉はいつの間にか耳元から離れていて、楽しそうに笑っている。
「そ、ゲーム。堕ちたほうが負けゲーム」
「何、その破滅的なネーミングセンス」
「お前は堕ちずにいられるか?」
「落ちずにってどこに?そりゃプールには落ちたけど」
 それには答えずに、冬哉は不安を大きく抱く笑いを浮かべた。

「反則だって、あれ」
  カーテンが寄せられたままの保健室で、私は一人呟いた。
 また顔が赤くなっている気がする。頬が熱いから。
 再び耳元に寄せられた唇。
 いつもより少しだけ低い声。
 ベッドの脇に手をついて、身を乗り出して。
 それだけでもう真っ赤なのに。

『俐咋』

 普段とは違う距離で呼ばれた名前。
 普段とは違う声音で呼ばれた名前。
 普段とは違う状況で呼ばれた名前。

『***』

 その三文字を、この状態で言われて、真っ白にならないはずはなく。
 そこで、また、一言。

『堕ちた?』
『……だから、プールには落ちたってば!』
『恋に』

 この男からは出てきそうにない単語を聞いた。呆気にとられて動けない私を見て、笑って、冬哉は保健室から出ていく。全身濡れたままだったから、着替えるのかもしれない。
「まだ、負けてないから」
 なんて、いつまで続くか分からない強がりだって分かってる。分かってるけれど、なんだか悔しいから。
「あ、この後どうしよう」
 顔を合わせて、同じ会話ができるかな、とか。赤さは元に戻ってるかな、とか。心拍数も元に戻ってるかな、鼓動速かったらどうしよう、気付かれないようにできないかな、とか。
 もう既に負けてる予感大、なんて気付いてても言わない。

落ちたのは、水の中。
でも、堕ちたのは、きっと。


鳴葉ゆらゆさんからアルイザ。冬哉×俐咋というべきか。
あ、読みは「とーりさ」(どうでもいい
自分が生みの親だなんて言えないくらい素敵でやばいです。身悶え率高し。
そんな超絶身悶えの勢いで描いた漫画→これ